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カエルデザイン 始まりの記

カエルデザインと言うブランドがなぜ生まれたのか?
ホームページに記載する前に記憶を辿ってざっくりと書いてみる。

温暖化で水没していく国で

僕が環境問題に関心を持つようになったのは、今から30年以上前、ODA(政府の開発援助)プロジェクトでインド洋の島国、モルディブに滞在したのがきっかけだった。当時、今ほど地球温暖化が深刻視されていなかったが、1000以上もの島々からなるモルディブの最高海抜1.8メートルの美しい島国は、地球温暖化による海面上昇で将来水没するのではないかと言われていた。国土の一部が水没するのではなく、国そのものが水没する。世界屈指のリゾートアイランドの美しさと、その国が将来迎えるであろう悲劇とのギャップが僕の心のなかに強烈な何かを産み落とした。

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 その後、約13年のサラリーマン経験を終えて、フリーランスのプランナーになってからもずっと僕の頭の中にはずっと海と地球温暖化の問題が渦巻いていた。
 フリーランスになって間もなく、2004年、金沢21世紀美術館がオープンする年に、僕は仲間と一緒にアートと環境をテーマとした地域通貨を発行することとなる。2003年のリーマンショックを契機に、資本主義経済、世界的なマネーゲームによる様々な弊害が顕著になって来た、そんなタイミングでもあった。その時に出会ったのが、カエルデザインのアートディレクター、Shake Designの井上和真君である。
 地球とともに人間が幸せに生きて行くためには世の中の仕組みを変えていかなくてはいけない。そのために自分たちは何ができるのだろうか?それを走りながら考えた。
 その後、様々な紆余曲折がありながら僕は50歳を超えていた。紆余曲折はあまりに色んなことがあり過ぎて、ここで書くにはあまりに長過ぎるのでその多くは省略する。
 オーガニック、エコ、ロハス、地産地消、地域活性化・・・・。そんなテーマに関係する仕事だけを選り好みして生きて来た。その中では当然のようにいくつもの失敗があったが、幸いにしていくつか賞をいただいたりして、自分が目指していることは間違っていないという確信を抱けるようになっていた。
 さて、海洋プラスチックにたどり着くまでにあまりに長くなってしまった。
 プラスチックストロー問題。2015年頃から世界的にプラスチックストローが大問題となってきていた。海亀の鼻にストローが突き刺さっている映像が拡散されたことが1つのきっかけであった。
 僕は以前から小松市の大麦畑の美しさを見ながら、これって本当のストローなんだよね。ストローハット、麦わら帽子作りたいなあと思いながら、それはなかなか叶わずのままだったのが、プラスチックストローが問題になった時、ここに本物のストローがある。これをもう一度ストローとして世に出せば良いのだと直感した。で、小松の大麦を使った大麦ストローのプロジェクトが始まり、これも紆余曲折があり、僕は途中で抜けたのですが、その商品は見事、ソーシャルプロダクトの賞を受賞し、大きく羽ばたく様子を見せてくれている。

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 で、この脱プラスチックストローの大麦ストローの企画が、後に僕を海洋プラスチックの問題と、アップサイクル、捨てられるものを価値あるものにカエルというテーマに導いてくれることになる。
2019年の初め、それまでブランディングに関わっていた仕事に区切りがついて、残りの人生で何をなすべきかを考えた。
 何かを企画してどんどん作ってどんどん売る。買って、いらなくなったら捨てる。もうそんなビジネスが許されるはずがなく、変わっていかなくてはならない。変えねばならない。これからは捨てられたものを価値あるものへと生まれ変わらせる、アップサイクルをテーマに生きよう。
 当然、自分一人でそれができるわけではなく、アクセサリー作家の川﨑朱美子さんと、もう15年以上の付き合いになるアートディレクターの井上和真君(Shake Design)にメンバーとなってもらい3人によるクリエイティブチーム、カエルデザインが生まれた。
 カエルデザインとしてアップサイクルアクセサリーに商品を絞ったのは川﨑さんとの出会いが大きい。水引、レジン、ビーズ、ドライフラワー、編み物・・・・。クラフトと言うクラフトは何でも経験がある人で、「こういうの作りたいんだけど」と相談すると、「そういうの作ったことある」とか、「作れるよ」とか言ってすぐに作ってくれる、そんなスーパーなパートナー。
 井上君はと言うと、「この人、また変なこと始めたなあ。しょうがないな、付き合ってあげるか」という感じに思っていたと思う(笑)。
 さて、捨てられるものをアップサイクルすると言っても、素材はプラスチック、レジ袋、ビニール傘、古着、金属、木、植物、ガラス、電子基板・・・・。多種多様なモノが考えられて、当初は様々なものに挑戦した。日中は川﨑さんも僕も、別な仕事があるので試作は夜、深夜2時までとか当たり前のように。
 当時からの膨大な試作品は山積みになっているわけだけれど、方向はやはり海へと向かう。 海洋プラスチック、マイクロプラスチック・・・。
 心の中に強く渦巻いている、モルディブの風景と沈み行く国のこと。そして、大麦のストローを企画した時から、海に何度も何度も足を運んでそこで目にした無数のプラスチックゴミ、ペットボトル、小さなマイクロプラスチック、発泡スチロール等々・・・。

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 海洋プラスチックは何百年も分解されない。海洋プラスチック問題を解決するには、プラスチックゴミを出さないことと、すでに出てしまったプラスチックゴミを回収する。この2つの方法しかなく、そしてそれは人間にしかできないこと。
 カエルデザインの最初のアップサイクル商品は海洋プラスチックを素材にしよう。そう決めて、海に通い、海洋プラスチックを拾い集め、試作を繰り返す日々が続いた。そしてようやく商品化の目処が立ったのが2019年の9月頃。

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 で、当時、今も僕がディレクターとして働いていている株式会社クリエイターズが運営するリハビリ型就労支援施設「リハス」の寺井センター長やディレクターの道添さんに、こんなことをカエルデザインでやろうとしているんだけれど、一緒にやりませんか?と投げかけたら、「一緒にやりたい!」と即答してくれて。
 海岸のプラスチックゴミが原料のアクセサリーなんて、誰が買うのだろう?そう思われても仕方がない。でも、僕たちは変な自信があった。自信と言うより、信念、哲学、使命感が勝っていた。みんながみんな買ってくれないだろうけれど、きっと共感してくれて買ってくれる人がいる。そう信じていた。
 カエルデザインとリハスとのパートナーシップが始まって、障がいを持つ仲間たちと一緒に、金沢の海岸に行ってプラスチックゴミを拾い始めた。細かくなって海岸に流れ着いたプラスチックは小さなものはマイクロプラスチックと呼ばれ、海岸に行くと無数に見つかる。何気なく海辺を歩いていても気が付かないかも知れないけれど、しゃがんで良く目を凝らして見ると、あちこちに無限に見つかる。

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砂浜に這いつくばってプラスチック集めて、分別して洗って、、、、 夏の暑い日には汗だくになるし、臭いし、冬の寒い日には鼻水が垂れるし。

 それでも、自分たちの海に、海岸にこんなにプラスチックゴミがあって、それが魚や亀や海鳥やイルカやクジラの命を奪っていると言う事実を知ったら、放って置けない。リハスの障がいを持つ仲間たちもそう感じてくれたに違いない。
 で、拾ってきたプラスチックゴミを分別して洗って、また分別して、大きいモノはカットして、そこからプラスチックをブレンドして板にして、それをカットして、磨いて、樹脂加工して金具を付けて、ようやくアクセサリーが出来上がる。

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「障がいがあっても稼ぐ」と言う目標。正直、障がいが無くても稼ぐのは大変だ。
 会社や学校、組織の管理された生活、人間関係、現代社会が引き起こす様々なストレスに適応できずに疲弊して、生きるのを辞めようとした人たちもいる。今もその瀬戸際で生きている人もいる。実は、僕は今から20年ほど前に鬱病になってサラリーマンを辞めた経験がある。僕の家族にも心を病んだ人間がいる。心の病は環境も関係があるけれど、遺伝の関与もあるとも言われていて、そんな事を思うと申し訳ないと心が痛む。
 でも、海岸に行って、潮風や潮の匂いや気温を全身で感じながら、地球が壊れて行く様を目の当たりにして、人間の愚かさや、一人の人間の無力さや悲しさや、色んな事を感じながら、ちっぽけな自分でも、この地球のために、人間の未来のためにできる事があるんだって思える。それって自分が生きる意味にもつながる。
 僕自身がそう思う。
 去年の秋に、金沢から始まった海洋プラスチックのアップサイクルのプロジェクトは、今では北海道の小樽から、神奈川の茅ヶ崎や鹿児島の喜界島、最南端は沖縄の石垣島からも海洋プラスチックを回収してくださる仲間たちの輪が広がって、感謝の気持ちでいっぱいです。
 そして、カエルデザインのアクセサリーを販売していただいている皆様、そしてお買い求めいただいている皆様。本当にありがとうございます。
 カエルデザインのストーリーは僕たちだけで作るものではなく、関わってくださる全ての皆様とずっと書き足していくものだと思っています。
 みなさん、どうぞ一緒に未来への希望、願いが込められたストーリーを育んでいただけたらとてもとても嬉しく思います。
 こんなに長い文章、最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。

カエルデザイン クリエイティブディレクター 高柳 豊

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