見出し画像

自分ってナニモノ?

小学生の頃からずっと頭の片隅に疑問がひとつあって、“自分ってナニモノで何で存在してるのか?”というもの。
昔はよくこの事を考えていた。

器/物体としての自分(身体)は、母の胎内で育まれて出来たものだろう。
では、この自分という自我を形成しモノを考える“心/精神”は、何処でどうやって生まれたのか?…“私”って、何?

人は死ぬと身体という器を失くす。
では、心/精神はどうなるのか?
…頭の片隅にずっとある疑問が生じたキッカケは、コレだったと思う。
死んだら身体を失って精神体だけになり、その辺に漂ってたりしないのかな?とか考えたのが最初だったような。
そこから、自分という存在(精神体)は何なんだろう?と。

前世占いや前世の記憶保持者の話とか好きな類いではあるんだけど、前世Aという人が今世でBという人に生まれ変わった場合、Aという身体に入っていた心/精神がBという身体に入ったという事…Bの人=Aの人??とか考えてしまう。

自分はそういった前世の記憶とか(言うなれば霊感的なモノ)は一切無いので、自分という精神体がいつから有るのか解らない。
今の自分が最初なのか、前々から居た存在なのか…。

この手の話は哲学の分野になるのかな〜。
哲学は学んだこと無いけど、ヒンドゥー教の宗教哲学の本は興味深かった。
…ヒンドゥーといえば、Siva(Shiva)の最初の妻Sati(Uma)は後にParvatiに生まれ変わるんだけど、長じてからSatiの記憶が蘇るんだよね…という事は、器(身体)は替わったけど中の精神体はSatiだった時のもの、だわよね。

─閑話休題─

“自分ってナニモノで何で存在してるのか?”という疑問は、たまに片隅から表に転がり出てきて、“私”に自問自答させる。
考えても考えても言語化すら出来ず、霞がかったような状態になってしまう。
答えなどあろう筈もないのに、考えずにいられないのだ。

こんな阿保なコトを考えるのなんて、自分くらいだろうか…皆んな自分という精神体の存在を不思議に思ったりしないのかな…。
小学生の頃、学校でムーの回し読みしてたんだけど、子供時代にムー読んでた人だったら似たようなこと考えてる…かもしれない、なぁんてね。

寿命がきて身体を失い、精神体だけの存在になった時、この疑問への答えが出るのかな。

ではでは。