ボランティアやチャリティーをプロ野球選手とともに。
こんにちは。mamiko.です。
BLF公式ブロガーとしてnoteを始めてから沢山の方に読んで頂けて本当に嬉しく思います。
ブロガーとしてはまだ日は浅いですが、入会歴はもうすぐ2年です。
BLFとは「野球で、人を救おう」と言う代表の思いがモットーです。
この言葉以外にも代表の著書に私が1番心を打たれた箇所がありますが、次回許可を得て、掘り下げていきたいと思います。
サポーター様には、年に一度のチャリティートークでの選手との交流があるのです。
初参加は2019年で、東京まで遠路はるばる一人で参加致しました。夢のような1日でした。
また近日書いていきたいと思います。
2020年はオンライン配信でした。
レジェンドサポーターでしたので、zoomによるアフターパーティーで選手とお話しが出来ました。
各球団の事情や日本の現状によりチームや選手別に行われ、大変貴重な時間となりました。
在宅で直接お会いできないのは残念ですが、zoomなので娘も一緒に参加して、親子で緊張と興奮の1日でした。
ここからは私個人の話になります。
学生時代に生まれ故郷が震災で大変な時、何もできませんでした。母に着いて行って物資を運ぶつもりが「着いて来なくていいよ」と言われたのです。
ボランティア元年の震災でした。
そして、東日本大震災の後も友人に安否の連絡をしておりましたが、「しばらく来ない方がいいよ」と大人になってもまだ言われたのです。
行っても力になれない、ガソリンや食費を賄ってのボランティア活動も私では出来ない…
報道で聞かない震災の様子の写真をもらい、友人からの様々な話から、違う形で力になろうと思いました。
その後は友人に必要な物を聞いて、定期的に物資で応援していました。ご家族の希望もお聞きして送る時もありました。
現在の住まいでは、市の運営する震災応援ショップがあります。
毎週末買い物をして少しでも復興支援をしようと通っていました。
その地方で生まれた娘が、本人は覚えていませんでしたが「お母さんも売る人になったらいいのに」と言われ、ボランティア活動の応募用紙を持って帰りました。
応募後は研修を経て無事に採用していただき、しばらくショップでボランティア活動をしていました。
水害なども起きたりして、その度に取り扱う産地が増えてより応援していける事にやりがいを感じました。
現在は本業での制約があり、お休みしていますが、日本の医療が落ち着いてきたら再開する予定です。
そんな時に偶然千賀投手のオレンジリボン活動についての勉強会でBLFに出会い、今に至ります。
私にとってのボランティアやチャリティーは、社会への恩返しと人生後半のライフワークです。
震災ショップのボランティアさんはシニアの方々が多いです。
仕事は機敏で明るく、優しく接してくださいます。
将来は私も同じように体調を第一に考えて、無理なく続けたいと思っております。
千賀投手が先日怪我をしてしまいましたが、ご自分の将来に支障の無いようにしっかり治してから復帰してくれる日を焦らず待ちたいと思います。
筆者撮影:2021.4.3
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