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私が「子育てしんどい」と思うワケは素の自分に戻る時間が足りていないから

鎌倉にいると、つい、ミツローさんの妻だったり、子供達の母親だったり、ツバキ文具店の店主だったりと、与えられた役割をその場面ごとに演じてしまう自分がいる。でも、今、ここであぐらをかいてロックの焼酎を飲んでいる私は、そのどれにも属さない、素の雨宮鳩子だ。

小川糸「椿ノ恋文」より

今読んでいる小説、小川糸さんの「椿ノ恋文」
「ツバキ文具店」シリーズの続編で、今回は主人公鳩子ちゃんの子育てをしている様子も描かれています。
発売された1日に買いに行き、もう読み終えてもいいころ。でも、ゆっくりのんびりちまちまと読み進めています。いつもなら小説は続きが気になり猛スピードで読むのに、今回は一文一文を噛み締めるように読んでいます。
子育てをしている鳩子ちゃんの心情を自分と重ね、共感し、「ツバキ文具店」の優しい世界観を自分の心に広げながら、本に愛しさを感じています。

さて、今日も読み進めていて残りもあと1/4ほどになりました。
そのなかにとっても心に響く一文が。

「どれにも属さない、素の雨宮鳩子だ。」

鳩子は伊豆大島へ先代の想いを胸に旅にでているシーンに描かれたこの文。

これを読んで、あぁ‥私が子育てしんどいな、疲れたな、と思うのは子どもができてから「素の自分」に戻る時間が圧倒的に短いからなんだと。
家にいると、妻であり、なんといっても子供達の母親。
常にだれかから「ママー!」という声が聞こえてきます。
とっても嬉しいし幸せなことなんだけども‥ずーっとずーっと「ママ」で居続けるのは正直しんどい。早く寝てくれないかな、早く土日が終わって幼稚園行ってほしいな、次男の幼稚園入園まであと4ヶ月少しか(早く来年の4月になってほしい!)‥なんて思う自分もいます。

でもそれは「ママ」として頑張っているから、というか頑張りすぎているのかもしれません。そして「自分」という時間が母親になって圧倒的に足りていないからなんだと、鳩子ちゃんから教えてもらえたような気がします。

だから私は、お酒は飲めないけど(下戸です)自分のために急須にいれたほうじ茶やテイーバッグで紅茶を飲みながら、子供達が寝静まった後に「素の自分」に戻って気力を回復して明日に備えています。
それでもまだ「子育てしんどいな」と思うのは、まだココロが「素の自分」に戻る時間を欲しているからなんだと思います。

でも「素の自分」に戻っていても、ココロのどこかでは子どもたちのことを気にかけているし、夫に預けて自分時間を外で過ごしていても、何かしら育児ハプニングがあったりするものなので、子供が小さいうちはなかなか難しいものなのかもしれません。

では後少し本の続きが読みたいのと、寝る時間が迫っているのでこのへんで。