合理的に考えるという思考停止
合理的に考えるというのは、一見して自分のアタマで考えている見えますが、むしろ思考停止になっているんじゃないかと感じます。
なぜかというと、合理的に考えると答えがほぼ統一されてしまうからです。
このnoteでは、なぜ合理的に考えることが思考停止なのか。付加価値が低いのかについて、記します。
自分のアタマで考えるクセをつけたい、仕事で自分の付加価値を高めたいと感じている方は読み進めてみてください。
合理的な判断の事例
前提条件:
スーパーに1個1,000円の桃Xと、1個1,500円の桃Yが売られています。
どちらも産地・状態・味は同じで、スーパーの店員が値引きの札を貼りそこねたことにより、片方の価格だけが不当に高くなっています。
Q:前提条件を知った上で、より安く桃を購入したいあなたは桃Xと桃Yのどちらを選択しますか?
A:桃X
そこにあなたは存在しない
上のような事例の場合、算数ができる人間なら誰がどう考えても答えは一緒です。
物事はすべてここまでシンプルではありませんが、合理的に考えるというのは「フラットに要素を整理した上で、ベターな選択肢を導き出す」ことだと私は考えています。
Aというシチュエーションがあり、XとYという選択肢がある。前提条件を踏まえればBを選ぶのが正しい。だからXを選ぶ。
これってようするに「クイズ」です。
クイズに必要なのは情報で、知識や知能ではありません。
クイズなら人間よりも優れた道具がたくさんあるため、クイズしかできない人間は個性がありません。
合理的に考えるだけでは、あなたは存在しないのと同じなんです。
感情の存在を意識する
人間は合理だけで生きるゴリゴリのサイコパスばかりではなく、感情と合理のミックスで物事を判断します。
もし合理だけで生きる人間が多いなら、ブランド品は存在しません。
Apple製品のmacが持つ性能は、全コンピュータの中で一番ではないでしょう。価格も同性能の自作コンピュータ等に比べたらバキバキに高いです。
では、何故人はApple製品を買ってしまうのでしょうか。
Appleというブランドが持つ権威。Apple製品を使っているという高揚感。Appleへの信頼。
これらの感情が折り重なり、製品に上乗せされたブランド費(同性能の他製品より数十倍もすることがある)を喜んで払います。
同性能の製品を安く仕入れる事ができるのに、なんでそんな無駄金を払うんだ。そう考える人がいるのもわかります。
ですが、ブランド品を買う人にとっては「ブランド品を買うことによって得られる価値」が商品価値を上回るのです。
感情と合理の割合は人それぞれで偏りはあるものの、全員が全員、合理だけで判断していないことを念頭にいれないと大きなミスを犯してしまうのではないでしょうか。
おわりに
以上が、合理的に考えることによってもたらされる思考停止についての話でした。
合理的に考える。ロジカルシンキングといったワードが飛び交う昨今では、合理的に考える=アタマが良い。という印象を受けます。
ですが、私は合理的に考えるだけの人間に価値を感じません。
人が価値を感じるトリガー、商品・サービス購入で踏む思考のプロセスについて思いを馳せることで、より高付加価値なサービス提案ができるようになるのではないでしょうか。
日々の仕事・転職の体験を基に記事を書いています。良い記事だと思ったらサポートして頂けるとうれしいです。