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誰だ、子は育つにつれ親は楽になると言ったのは。

我が家には3人の子どもがいます。
長子である娘は、小さい頃から繊細で家と外の差が激しい子でした。
した二人は男子の双子で、持病もあり、手のかかる日々。
先輩ママさん方の「〇歳になったら楽になるよ」を信じ、子育てしてきたけど、成長のたびに起こる事件の数々。
私の育児はちっとも楽にならない。
そんな苦悩の日々をここでは垂れ流そうと思います。

事件1:娘、不登校になる

娘は小学校6年生の時、不登校になりました。
その前から、学校に行きたくないことはあったため、私の休みに合わせて平日を休んで遊びに行ったり、ランチに行ったりと、休息は設けていました。
しかし、6年生になってからは、登校時の体調不良や「行きたくない」と言った意思表示が増えるように。
なんとかなだめながら、時には喧嘩になりながら、登校を促していました。

しかし、ある日の朝、とうとう号泣で「行きたくない」と言われてしまいました。
その日は休み、保健室の先生の理解もあり、保健室登校が始まったのですが、担任の無理解などもあり、保健室から教室に連れていかれることも多く、結果として不登校に。

娘は、友達との関係性は悪くなく、勉強が付いていけないということもありませんでした。
ただ、担任との折り合いは悪かったように思います。
一生懸命な先生ではあったと思いますが、繊細な部分のある娘は、声のトーンや対応が威圧的と感じていたようでした。

不登校のきっかけと言うか、最後に地雷を踏んでしまったのは、担任の先生だったとは思います。
しかし、ここに至るまでには、娘の発達上の不安についてうまく周りに伝えられずに相談が思うようにいかなかった私にも原因があります。
なんとなく娘の発達について不安に感じる部分があり、折に触れ相談はしていたものの、伝え方が悪かったんでしょう。
結果として、本人がかなり我慢をしてしまい、限界を突破してしまったというのが、不登校の真相だと思っています。

この不登校は、結局中学校に上がっても続くことになりました。

事件2:息子2、トラブル多発

我が家には、双子の息子がいます。
この息子のうち、2号くんはトラブルが多発していました。
保育園時代には、ちょっとしたきっかけで相手を追い詰めるようなことがあり、発達相談にかかったことも。
そこでは、「本人にとっては筋の通ったことであり、特に問題はない」と言われ、モヤモヤが残ったのを覚えています。

本格的にトラブルが出てきたのは、小学校に上がってから。
1年、2年とトラブルが多発しつつ、担任の先生のサポート等があったこと、1クラスあたりの人数が少なかったこともあり、なんとかなっていた部分もありました。

大きく問題となったのは、3年生になってから。
生徒数の関係でクラスが1つ減った結果、1クラス当たりの人数が増えました。
当然ながら、教室内も狭くなってきます。
その結果、2号のイライラが募ることになり、ちょっとしたきっかけで手を出してしまい、トラブルとなる機会が倍増してしまいました。

以前より、「手を出さない」「自分がされて嫌なことはしない」ということは、何度も何度も言っていました。
しかし、自分の思いや想定と違うことが起こるたびに、突発的に手が出る、暴言を吐くと言ったことが続き、毎日のように学校から電話がかかってくる事態となりました。

ちょうどその頃、自分自身も職場で追い詰められる状況があり、うつ病を発症していたため、心身共にボロボロの状況となっていました。

事件3:息子2、小3にして発達相談につながる

すっかり病んでしまっていた私は、毎年配られるいじめアンケートの自由記入欄に、2号には手を出さない等のルールは伝えており、毎回話もしているが、このような状況がずっと続いていること、このままでは学校に行かせるわけにはいかないと言った内容を書いて提出しました。

その結果、先生方と今後について話し合う機会が設けられることに。
時期的に学校の教育相談の直近の予約が埋まっていたこともあり、教育委員会が行っている教育相談に行くことになりました。
2号の状況や不安に思っていることをカウンセラーの先生に話した結果、心配なら発達の検査等をされてみては?ということになり、医療機関の発達相談につながることになりました。

これが我が家に大きな変化をもたらしました。

この頃、2号のストレスがマックスだったこともあり、家の中でも喧嘩が絶えず、壁に穴が開く、いつもどこからか叫び声や泣き声が聞こえる、と言った状況でした。
受診に繋がったことで、2号の特性を理解することができ、衝動性を抑える薬も出ました。
2号の対応方法も色々と教えてもらいました。
うつ病真っ盛りの時期だったので、なかなか理解できていない部分もありましたが、2号本人の辛さが軽減される結果となり、家の中が徐々に落ち着いてきました。

学校での状況は、すぐに変わるわけではありませんでしたが、本当に少しずつ変化はみられるようになってきました。

事件4:娘、自閉スペクトラムの診断

2号が医療機関に繋がり、落ち着いてきたところで、気になっていたのは娘のことでした。
この頃の娘は、不登校であることだけでなく、自尊心の低さからかなりネガティブな発言が多く、一日中寝ていることも多かったように思います。
大学病院の小児科にかかる機会があったときに、その旨を相談し、起立性調節障害の検査もしたものの、起立性調節障害については問題なしという結果。
大好きなバレエも休みがちになっていたため、このままではいけないという焦りがありました。

ある日、2号の定期受診で中学生と思わしき患者さんを見かけました。
その時、「ここで相談だけでもしてみよう、だめだったらまた何か考えればいい」とふと思い、初診の予約を取りました。

今の状況やこれまでの不安に感じていた部分などを説明しました。
以前に相談した先で、「うちと外の区別がついていれば大丈夫」と言われた話をすると、先生が苦笑いしていたことをよく覚えています。

その後、心理検査の流れになり、ようやく明るい光が見え、心のつっかかりが取れたように思いました。
そして、娘には自閉スペクトラム症との診断が下り、情緒の支援級に行くこともできるとのアドバイスを受けました。

すでに中2になっていた娘。
今後の進路の心配もあったため、支援級についてはメリットとデメリットを色々と聞きました。
その結果、娘にとって、最適解は支援級でした。
その後の動きはとても早かったです。
というのも、支援級の先生は小学校から持ち上がりで、娘のことをよく知っていた先生でもあったため、娘の苦悩をよく知っていただいており、こちらが一から説明しなくてもわかる部分が多かったと思います。
私の説明が下手な部分もあるので、ここは本当に助かりました。

娘は診断が下ったことで、自分自身のモヤモヤとした不安が解消されたようで、徐々に元気を取り戻しました。
バレエにも休まず行けるようになりました。
学校は自分のペースで少しずつ行けるように。
3年生になった時には、正式に支援級へ転籍となり、さらに本人のストレスは減ってきたように思います。

事件5:息子1、不登校になる

娘の不登校問題に解決の兆しが見えた頃、1号に問題発生。

なかなか我が家には穏やかな日々が訪れないものですね。

もともと、娘の不登校から息子たちは学校に行く日数が減ってきていました。
初めは頑張っていた1号も、「何のために学校に行くのか」「娘は休んでいるのに何も言われていない。どうして自分だけ行かなければならないのか」といった疑問が生まれてきて、行くのを渋るように。
あの手この手で登校を促していましたが、同じ悪夢再び。

朝号泣されてしまいました。

「あ、しまった」

猛烈な反省が頭を駆け巡りました。
この日はもう何も言わずに休ませました。
彼も追い詰められてしまったのです。

娘に比べ、1号は自分の気持ちを言葉にするのがとても苦手でした。
体調が悪いこともうまく伝えられない。
頭はとても良い子ですが、とにかく言葉で説明するということが難しい子でした。
伝わらないからあきらめて我慢する。
それが1号の特徴でした。

この時点で1号は発達相談に繋がっていたため、先生やカウンセラーの先生にすぐに相談することができ、対応も早くできました。
ただ、この場でも私の伝え方の下手さが災いをもたらしてしまい、とりあえず通級が開始。
本来は支援級相当だったのですが、通級から支援級への移行が色々な事情が絡んでやや難航しました。
しかし、カウンセラーの先生のアドバイスを受けつつ、交渉を続け、ようやく支援級の方向へ話は進んでいます。

育児は大変だが、子はやっぱりかわいい

我が家の子どもたちを巡る事件は、一つ落ち着いたかと思えば、新たな問題が発生し、なかなか思うようにいきません。
第2子が双子だったこともあり、育児はずっと波乱万丈で大変な状況です。
やっと落ち着くと思ったはずの時期も、トラブル多発だったり、自分の体調不良が重なり、死ぬほど大変です。

でも、やっぱり我が子はかわいい。
手がかかるほどかわいい。

明日もまた、この可愛さに負けて大変といいながらも育児を続けていくでしょう。

#エッセイ部門


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