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僕は何者か【〜小学校時代②】自己分析/自己省察

〜続き〜

【手術】
 実は、ボーイスカウトをやっていた頃、生死をわける出来事があった。
 時は、小学5年生の夏🍉新潟県は佐渡島の外れのキャンプ場でキャンプ⛺️を行なっていた。マッチ等を使わずに火起こしをしたり、テントをたてたり、ロープ結びを行なっていた。
 夕飯も食べ終え、皆がテントで寝静まる頃、僕は激しい痛みの腹痛と闘っていた。トイレに行くような痛みでもない。当たるような食べ物を食べた記憶もない。腹痛が一旦治ると、また横になる。すぐに第2波の腹痛が襲ってくる。声も出ないような痛みだ。
 0時を回った頃に、島内の1番大きな病院の救急外来で診てもらうことになった。
 鎮痛剤を打たれると、痛みも無くだいぶ楽になっていた。すると、医者と親が話している会話が微かに聞こえてくる。
 「盲腸(虫垂炎)が...破裂しそうです。手術をするしかありません。」
 僕は、ただただ「手術」と言う言葉に震えていた。「もしかしたら、ミスをして死ぬのかもしれない。いや、手術をする前に死ぬのかもしれない。」
 緊急手術をすることになった。ところが、島内での手術ができなかった。麻酔科が居なかった。当時、ドクターヘリも普及しておらず、ヘリも無かった。仕方なく、一晩を病院内で過ごすことになった。
 翌朝、救急車でフェリー乗り場へ。高速船に乗って新潟港に着く。すると、横付けされていた救急車に乗り、新潟の病院に直行。そのまま手術へ向かった。手術室に向かう時は、大号泣しながら看護師に「助かりますか?」って何度も聞いていたのを覚えている。
 手術跡はほぼ無くなり、無事にこうやって今を生きている。

【手術】を振り返ると、生かせれているし、「まだ僕は生きたいんだ!」ってあの時思っていたんだと思う。もう死んでも良いやって思っていたら、盲腸が破裂して感染症にかかって死んでいたのかもしれない。
恩返しになるかもしれないけど、僕の一個人の為に、家族は勿論、救急救命士、医師、麻酔科医、看護師、臨床工学技士などの人の力があったから今がある。だから、僕も「誰かの為に貢献できる人物でありたい」と思うようになったのかも知れない。

しかし、翌年、自ら命を断とうとすることをするとは…誰も予想だにしていなかった。

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