〈小説〉マシュマロ
1
何を見ているんだろうと思った。
探すように一生懸命見ている、視線の先には何があるのだろう。
不安そうだったり嬉しそうだったり切なそうだったり、色んな表情で何かを見ている有沢萌を、ぼくは無意識に目で追うようになった。
有沢が見ている何かが気になっていたはずなのに、いつの間にか有沢そのものが気になっていた。
有沢が見ているものは花でも木でも空でもなかった。いつも同じ一人の男子をずっと見ていた。
それがわかってぼくは、より一層有沢への興味が増した。この感情が何なのかはぼくにはわからなかった。ただただ有沢を知りたいという気持ちだけが膨らんでいった。
同じクラスだから話しかけるのは簡単なはずだった。
他の女子には気軽に声をかけられるのに有沢にはそれが出来なかった。有沢には友達が少なく、授業以外はいつも外を見ているか本を読んでいる。
「何読んでるの?」と訊く練習を心の中で何度もした。それなのに訊ける機会に恵まれた時ぼくは、「何それ」と言ってしまった。有沢はムッとした顔で「小説だけど」といってパタンと閉じた。
有沢はプンと横を向いてしまう。艶々とした黒髪が光る。
「何の小説?」
有沢は答えず、顔を横に向けたままだった。
もうすぐ休憩時間が終わるからみんなが教室に戻ってきて、ああもう答えてもらえないんだろうなと諦めて有沢の席を離れようとしたとき「みずうみ」と有沢が言った。
「え」
ぼくが聞き返すと今度はきちんと目を合わせて「川端康成」と答えた。
返す言葉が見つからなくてぼくは有沢をじっと見つめてしまって、どいて、と有沢の隣の席の奴に言われてハッとして我にかえり自分の席に戻った。
次の休み時間に田中に誘われて北校舎の最上階に行った。ほとんど人が来ないからいつもとても静かで、駒を置く音がよく聞こえるからと田中が気に入っている場所。
田中に一から将棋を教えてもらい、なんとか指せるようになったけど田中に勝つことは永遠にないような気がする。
駒を並べながら田中に「みずうみって知ってる?川端康成の」と訊いてみる。
「ああ、変態のおっさんの話だろ」田中はぼくが置いた駒の角度を直しながら言う。
「マジ」
「いや、読んだことないけど、あらすじだけ見てそんな風に思った気がする。それよりさー、お前あれ読んでくれた?」
変態のおっさんの話という感想が心に引っ掛かったまま田中に借りた『3月のライオン』という漫画を思い出す。
「ごめんまだ」
「早く読めよー。続き持ってきてやるからさー。絶対もっと将棋を好きになるからー」
ごめんごめん、と答えながらぼくは川端康成の『みずうみ』を読もうと心に決める。
バレンタインデーの日も田中と北校舎の最上階に行こうとした。
先に階段を上がっていた田中が将棋盤を持ったまま「斉木がいる」と言って止まった。
「降りよう」と田中が言うので一つ下の階の踊り場でぼくたちは腰を下ろす。
「なんで斉木がこんなとこに」ぼくは言った。
「宇井と待ち合わせなんじゃね、チョコ渡すとか」
「あー」
斉木絵莉香と宇井蓮太朗は校内でも有名な美男美女で、二人は付き合っている。堂々と渡せば良いのに。なんでわざわざこんなところで、と少し不満に思う。
田中に、ぼくたちには無縁だなと言おうと思っていたら斉木が降りてきた。
田中もぼくも斉木と目を合わせないようわざとらしく将棋盤に駒を並べる。
「もう時間なくない?」
「そうだな。ま、でも並べながら話そうぜ」
田中が言って「話すって何を」とぼくが笑っていたら「斉木さん!」と声が聞こえた。
有沢だ。声だけですぐにわかった。
「あたし、宇井くんに、チョコレート渡すから」
有沢が言って、斉木が何か答えた。
田中が目を見開いて、手すりの陰から斉木達のいる下階を覗く。
「やめろよ」
ぼくは押し殺した声で言い、田中を止めるため立ち上がって腕を引っ張る。
「斉木さんには言っておこうと思って」
有沢が言って、田中が「ヤベェ! 修羅場じゃん!」とかすれた声で嬉しそうに言う。
誰かが階段を降りていく足音が聞こえて、もう二人ともいなくなったと思ったのか、押さえていた口もとから笑いが込み上げた田中は吹き出す。
「何してんの!」
有沢の声が聞こえてぼくは慌てて田中の口を手のひらで押さえた。
有沢の強い気持ちを目の当たりにして、ぼくは興奮していた。なんでそんなに好きになれるんだろう。田中が将棋をバカみたいに好きなように、有沢は宇井蓮太朗のことをとても好きなのだ。
どうやって好きだという気持ちに気付くのだろう。好きだという気持ちが砂時計みたいに少しずつたまって、いっぱいに満たされたて知るのか、あるいは稲妻に打たれるみたいに電撃的なのか、それとも花が咲くみたいにおだやかにゆっくりと悟るのか。
ぼくもあんな風に何かを、強く好きだと思ってみたい。
とても良いからと他人に自信を持って薦められるほど、もうすでに誰かのものなのに諦めずに奪いに行けるほど、何かを強く好きになりたい。
帰り道の本屋でぼくは、川端康成の『みずうみ』を買った。
その日のうちに読み終わった。あまり面白くなかった。
でも面白くなかったことはそれほどショックではなかった。変態のおっさんの話といえばそれまでだけど、それだけでは説明しきれない何かが書かれているような気もした。そして何よりぼくは、『みずうみ』を読むことで有沢を少し知れた気がして満足だった。
スマホを見るとグループLINEに「悲報! 有沢が蓮太朗にチョコレート受け取ってもらえず!」というメッセージが流れていた。「うけるwww」「ダサw」「撃沈!」と数人が煽って盛り上がっていたので、それ以上読まずに閉じた。
それでぼくは有沢のことを考えた。有沢がいつも宇井蓮太朗を見ていたのは多分ぼくが一番知っている。宇井の彼女にも宣言して、一大決心をしてチョコレートを渡しに行ったに違いない。それなのに受け取ってもらえなかった。有沢は泣いたのか。傷ついていないだろうか。心配になった。気になって、ずっと有沢のことを考えていた。胸のあたりが痛くなった。もしも有沢が傷ついていたとしたら、ぼくに出来ることはあるだろうか。ぼくが、有沢のために出来ること。
次の日、まるでチョコレートを受け取ってもらえなかったのが自分のことだったかのように暗い気持ちで学校に行った。
でも有沢はいつも通りだった。
むしろいつもより上機嫌な気がした。
本を読んでいる有沢に「『みずうみ』読んでるの?」と訊いた。
有沢は「あれはもう読み終わった」と清々しく笑って答えた。
「じゃあそれは何読んでるの?」ぼくは訊いた。
有沢は顔を上げ、真っ直ぐぼくを見る。昨日一晩中有沢のことを考えていたことが見透かされたようでドキッとする。
「小説好きなの?」
有沢が言う。
好きなの? と問われてぼくは、ああ、そうか、それだ、と気付く。
「ううん、有沢が何読んでるか知りたいだけ」
ずっと感じていた例えようのない気持ちに、有沢が名前をつけた。
「読み終わったら貸してあげよっか」
有沢が手に持っている小説を顔に近づけて言う。
「うん、貸して」
ぼくは無意識に答える。
「いいよ、待っててね」
有沢が笑う。そうだ、ぼくは。
好きなんだ。
有沢のことが。
2
電子レンジからパン!と破裂音が聞こえるのと同時にしまった!と思った。
弁当についているマヨネーズの袋を外さずに一緒に温めてしまったのだ。
次の人の商品のスキャンをしていた手を止めてレンジを開けると、思った通り飛び散ったマヨネーズが庫内に散乱していた。弁当にもかかっている。「すみません! 取り替えますので少々お待ちください!」おれは言って同じ商品を取りにいき、もうひとつのレンジで温めようとしたら沖さんが「マヨネーズ!」と叫ぶように言った。危うく同じ失敗をしてしまうところだった。弁当からマヨネーズの小袋を外していたら、さっきスキャンの途中でそのままにしてしまっていた客のフォローに沖さんが入ってくれた。
「珍しいね、美濃くんもあんな失敗するんだ」
帰り道沖さんが言った。
「ちょっと考え事してたんすよ」
沖さんは水商売をしていた時の客からストーカーの被害に遭っていた時期があり、いつもバイトの上がり時間が一緒で帰り道も同じなので家まで送るようになった。
もうストーカーのおじさんを見かけることはなくなったけど、だからってわざわざ別々に帰るのも変な気がして、なんとなくずるずると半年ほど一緒に帰っている。
「なに? 恋の悩み?」
沖さんが冷やかすように言う。
おれは今日蓮太朗から相談されたことを話すか迷う。
沖さんはおれより年上だし人生経験も豊富だろう。たまに下ネタも言うし何でもオープンに話すタイプの人だから話しても大丈夫だろうと思った。それに、何か解決方法を教えてくれるかもしれない。
「友達の彼女が妊娠したらしくて」
「えー」
沖さんが抑揚のない声で答える。
「ヤバいんすよ」
「それ美濃くんの話?」
「は?……いや友達の」
「ふーん」
沖さんが疑いの目を向ける。
「本当に友達の! おれじゃないって」
おれ童貞だし、と言いそうになってやめる。
「高校生でしょ?」
「はい」
「二人とも?」
「はい」
「生でヤったの?」
いやぁー、と返事に困りながらやっぱり沖さんに話すんじゃなかったかなと後悔する。
「バカだね」
「そうっすね」
「ちゃんとつけなきゃ」
「あー、はい」
「ほんとにそれ友達?」
「だから友達だって……」
「なんにも出来ないよ」
おれが押している自転車を挟んで向こう側を歩く沖さんが言う。
「他人に出来ることなんてなんにもないんだから」
冷たい顔で沖さんが言って、そうっすよねと小さくおれが答えるとそれからしばらく沈黙が続いた。
沖さんが一人で住むボロいアパートが見える。
じゃ、と別れの挨拶をしようと思っていたら突然、自転車越しにいた沖さんが反対側に回っておれのすぐそばにいた。
「これ」
手のひらに乗るほどの小さな赤い包み。
「義理じゃないからね」
ニヤっと笑って沖さんはアパートの錆びた階段を登り、途中でふり返り手を振っていた。
赤い包みを持った手を上げてそれに答え、自転車にまたがって包みをポケットに入れ漕ぎ出す。
妹と弟には見せたくない。家に着く手前で自転車にまたがったまま包みを開ける。どう考えても義理サイズのチョコが出てきた。
からかわれているんだと思う。義理じゃないわけないじゃん。
包装を乱暴に剥いてアーモンドが入った安物のチョコをおれは頬張った。
おれだったらどうするだろう。彼女が妊娠してしまったら。
とりあえず親に言って、一緒に育ててもらうとか。
案外母親は喜んで、妹や弟とまとめて一緒に育ててくれそう。
蓮太朗の家は金持ちだから、親が何とかするだろう。産んで育てる以外の方法で。いつ行っても誰もいない、がらんとした新築の大きな蓮太朗の家を思い出す。
家に帰ると小学生の弟が、兄ちゃんチョコもらった? と嬉しそうにきいてくる。それを中学生の妹も後ろで聞き耳を立てていた。おれが答えるより先に「ぼく二個」と弟がチョコを見せてきた。
「やめなよ、兄ちゃんもらってないみたいだし」
妹が言う。
「うるせーな、もらったわ」
おれが言うと弟が母親に報告しに行く。
とにかくおれの家は騒がしくて、父も母もよく喋る。妹は可愛いけどずる賢くて弟はほんとバカで、狭いし金はないけどやっぱり家に帰るとホッとする。
弟と風呂に入り頭を洗ってやると、「兄ちゃん何個もらったの?」としつこく聞いてくるので「ひとつだよ」と正直に答える。
「じゃぼくの勝ちだ」
ぎゅうっと目をつむったまま弟が言って、おれは弟の髪の泡をシャワーで流してあげながら「数じゃないんだよ、質だよ質」と答える。
「なにそれ」
「どうでもいいやつに沢山もらうより、大切な人に一個もらうほうが勝ちってこと」
「ふぅん」
弟が不満そうに口をとがらせる。
「でもまぁ今回はお前の勝ちだ」
おれが言うと弟は嬉しそうにガッツポーズした。
次の日のバイトの帰り道、沖さんがまた白い小さな包みをくれた。とても軽い箱だった。
「昨日もらいましたけど、義理チョコ」
「だから義理じゃないって。これはただのプレゼント。いつも財布に入れといてね」
沖さんはそう言うと振り返りもせずにアパートの階段を登った。
自転車で少し走ってから、さっきの箱が気になったので途中で自転車を止めて包装紙を破いた。出てきたのはコンドームだった。
デリカシーのなさにちょっとムカついたけどすぐに意味がわかった。
昨日友達の彼女が妊娠した話をしたからだろう。ちゃんとつけなきゃって言ってた。蓮太朗に渡せということかな、と思ったけどもらうことにする。
いつ使うことになるかわからないそれを、ひとつ取り出して財布に入れた。
しばらく蓮太朗の様子を見ていたけど、斉木と一緒にいるところを見かけなくなった。
学年末テストの最終日、下校する蓮太朗を見つけて追いかけた。
「斉木どうなった?」
蓮太朗はうんざりした顔で「知らね」と答える。
「なんだよそれ、話してないの?」
「避けられてんだよ」
「え、それで放置?」
なんとかするよと蓮太朗は言って、だるそうに手を振るのでおれはついていくのをやめた。
「他人に出来ることなんてなんにもないんだから」という沖さんの言葉を思い出した。
バイトに行くとそれを察したかのように沖さんが「友達どうなった?」と訊いてきた。
「あーなんか解決したみたいっす」
おれが嘘を答えるとそれ以上深くは訊いてこなかった。
帰り道いつものように沖さんを送る。
「テスト終わった?」
「はい」
「こないだの舞台撮ったやつ、見にこない?」
沖さんは劇団に所属していて、先週舞台があったらしい。観に来てと誘われたけどテスト前だからと断った。また断るのも悪い気がするので「いいんすか」と答える。
沖さんは大学に行くため地元を出て一人暮らしを始めたけど、劇団に入ってのめり込んでしまい大学を辞めた。それで仕送りを打ち切られ金がなく水商売とコンビニを掛け持ちでバイトして、そのコンビニでおれと一緒になった。ストーカーの件で水商売は辞めて、稽古の無い日の昼間は年寄りにひたすら電話を掛けるという怪しいバイトをしているらしい。とにかくそこまでしてでも続けたい舞台を、一度は観る価値があるかもしれない。全く興味はないけれど「観たいっす」と付け足す。
「片付けるからちょっと待ってて」と言って沖さんが家に入ったあと、錆びた階段の下で母親にLINEする。帰りが遅くなることについて何か言われる訳じゃないけど、弟が一緒に風呂に入るために待っているかもしれない。
母からは気が抜けるくらい適当な返事がくる。
「いいよ」と薄く開けた扉から手招きされて、初めて沖さんの家にあがった。
狭いワンルームにベッドと小さなテーブルとテレビ。
テレビで観るのかと思っていたら沖さんがノートパソコンを持ってきてテーブルに置き、DVDを挿入する。
「どうぞ」と促されて上着とブレザーを脱ぎ、地べたにあぐらをかいてベッドの縁にもたれる。
「狭くてごめんね」
テーブルに置いたノートパソコンの画面に、画質の荒い映像が流れる。
いつもスエットみたいなだらしない格好の沖さんが、肌の露出が多い薄くて短いワンピースで登場する。
みんな大袈裟に身ぶり手振りで台詞を言うけど話の内容が全然理解できない。怒ったかと思えば笑い、泣き叫ぶ人もいれば歌い出す人もいて、観ていて恥ずかしくなる。
こんなに感情を露にする沖さんを見たことがないし、最後の場面で泣き崩れ長い台詞を話す沖さんはなんだか別人みたいで直視できなかった。
映像が不自然にプチンと切れ、部屋がシーンとなる。
「どうだった?」
静かに沖さんに尋ねられて、なんて答えるのが良いのかおれは迷って「なんか……ちょっと、恥ずかしかった」と素直に言う。
数秒沈黙があって「なんで?」とさらに沖さんは問う。
「あー、いや、なんてゆうか、沖さんじゃない人みたいで……圧倒されて」
おれの答えに腹をたてた沖さんに叩かれるのかと一瞬思った。
気がつくと目の前に沖さんの顔があり、おれの肩を捕むのと同時に沖さんが唇を重ねてきた。避けられない早さだった。
「は?……え、なに?」
おれがパニクって言うと「もう一回していい?」と上目遣いに沖さんは言った。したい、と思った。おれの返事を待たずに沖さんはゆっくりと顔を近づけてくる。おれは沖さんと反対の角度に首をかしげてそれを受け入れる。
柔らかい唇は甘いぶどうの味がして、さっき沖さんが何かを口に含んでいたか思い出そうとしたけどすぐにどうでもよくなった。
歯の隙間から沖さんが舌を押し込んできて、おれの舌にからめてくる。唇を合わせるだけのキスしかしたことがないおれはひるむ。沖さんとは別の生き物のように熱い舌が動く。舌と舌で会話するようにじゃれ合う。溺れそうになって息継ぎする。頭が真っ白になったとき、濡れた唇を触れ合ったまま「あれ、持ってる? こないだあげたの」と沖さんがささやいて、それがコンドームのことを言っているのだと理解するまでに数回瞬きをする。
「ある」
おれは言ってスラックスの後ろポケットに入れていた財布からコンドームを取り出しテーブルに置く。
「使う?」と沖さんが訊く。
「どうしよ」おれは言う。
おれの首筋に手を回し沖さんがまた唇を重ねてくる。おれは沖さんの腰に手を回し、服の中に手を入れる。
おそるおそる胸に触れ、その柔らかさに心奪われる。沖さんの呼吸が荒くなりおれはたまらず沖さんの服をたくしあげる。
色気の全くない地味な服装の沖さんの下着は真っ赤だった。おれが触ったせいでずり上がったブラジャーの下から胸がはみ出している。ホックを外し、解放した乳房を両手で包み、ピンと立つ二つの小さな突起のうちの片方を口に含むと沖さんが小さく声をあげる。
スラックスの生地の上から固くなったおれの下腹部の形を沖さんが確かめるように細い指でなぞる。ベルトに手をかけて外そうとして、バックルがカチャリと音をたてる。
「ちょっと待って」
口を離して顔を上げおれは言う。二人とも息が上がっている。見つめ合って笑ってしまう。
「だめ?」
「ううん、そうじゃなくて」
何度も脳内でシミュレーションしてきた。手順も知っているし多分なんとかなるだろう。でも、どんなに慣れた風を装っても初めてだということがバレるだろう。
おれは自分でベルトを外しスラックスを脱ぐ。心細い顔で待っている沖さんの脇に腕を回して抱き上げる。ベッドに優しく押し倒し、シャツを脱ぎながら、でもいいや、と思う。
初めてだとバレたとしても、それを笑われたとしても、沖さんならいいや。
シーツに広がる少し傷んだ髪。覆い被さるおれの体で翳る白い肌。
腕を伸ばしておれの髪を指で漉き、愛おしそうに頬笑む沖さんに、おれは自分からキスをする。
3
「生理がこない」と絵梨花に言われて、最初に浮かんだのはなぜかスタイだった。
白地に青の縁取りの生地に、フェルトのアルファベットで一文字づつR E Nと縫い付けてあるよだれ掛け。
「今はよだれ掛けじゃなくてスタイっていうのよ」と母が、今の家が建って越してくるとき整理している荷物からスタイを見つけて僕に言った。
裁縫などしたことのない不器用な母が、兄にも作ったから次男の僕に作らないのは可哀想だからと僕がお腹にいるとき作ってくれたスタイ。
「蓮太朗の子供にも使ってよ」と母が言い、僕は嫌だと笑いながら答えた。こんなの、古いし汚れてるし、しかもRENってかいてあるから使えないじゃん。すると母が寂しそうに「じゃあ私が死ぬ時棺に入れてね」と言った。僕はやだねと笑い飛ばした。母はここにいない誰かに会いたがるみたいに「れんちゃん……マシュマロみたいなほっぺで、可愛かったのになぁ」と言いながらスタイに頬ずりした。
生理がこないことを告白されて僕はそんなことを思い出していた。どこかの家から焼けた魚のにおいがしていた。
「ちゃんと考えとくから」と絵梨花に言って別れた。お腹が空いていた。
家に着いて玄関を開けても、いつも通り誰も帰っていなかった。
最近はお金が置いてあるか惣菜が買ってあるかのどちらかで、面倒だから何も食べずに眠ってしまうことも多い。
僕は朝食べていたパンの袋を見つけて残っていたロールパンをひとつ口に放り込んで自室に入る。何度も絵梨花と性交をしたベッドに大の字になりスマホを操作する。
「ちゃんと考えとくから」と絵梨花に言ったものの、どうすればいいのか検討もつかない。
とりあえず僕はGoogleの検索バーに生理こない、高校生と入力し検索する。妊娠という言葉がいくつも出てきたので、次に中絶、費用で検索した。
10~15万あれば足りるらしい。日帰りもしくは一泊。
親、秘密を混ぜ検索する。高校生の妊娠の悩みが綴られる書き込みがずらりと出てきて、スレ主を批判する文章ばかりが目に入り怖くなる。
僕はとんでもないことをしてしまったのかもしれない。親の同意なく中絶の手術をすることはおそらく不可能だろう。
絵梨花の親には話しても、どうにかして僕の親には秘密に出来ないだろうか。
その日はなかなか寝付けずに、朝方悪夢で目が覚めた。絵梨花の腹の皮をぶち破ってエイリアンが生まれる夢だった。
学校へ行っても絵梨花が怖くて仕方なかった。話しかけないでほしいと思った。金はなんとかするけど、僕の親には言わないで済むように上手く説得する方法はないか考えた。
夢だったらいいのに。目が覚めてエイリアンが消えたみたいに、絵梨花の腹の中の子供も消えればいいのに。自分がそんなことを願っているのが恐ろしかった。
絵梨花とは話さないまま過ごしていたらあっという間に2週間が過ぎて、もしかしてもう無かったことにできるんじゃないかと思った。ところが放課後門の前で絵梨花とばったり会ってしまった。絵梨花が口角を上げて笑おうとしたから生理が来た報告かと期待してしまった。絵梨花は無表情で「どうするの」と言った。怖かった。悪夢の続きを見ているようだった。「あ……あの、金は……なんとかなりそう」と僕が言うと「で、どうすればいいの」と絵梨花が言って、僕は「調べとく」と答えた。胸の奥がキリキリ痛んだので前屈みになってうつむいた僕を無視して絵梨花は行ってしまった。
どうすればいいんだろう。全然わからないし考えたくもない。
何かに追われているような気がして何度も振り返りながら歩いた。泣きたい気持ちで家に帰ると、珍しく兄がいた。
「ピザでもとる?」と兄が言い「いいよ」と僕は顔も見ずに答える。
「あっれー、俺スマホどこやったっけ? ちょっとお前俺に電話かけて」
兄が言い、僕は兄の電話番号を押す。すぐに耳元で「お掛けになった番号は……」とアナウンスが流れる。
「使われてないって」
「あ! ごめんごめん俺お前に新しい番号言ってなかったっけ?」
貸して、と兄が言い僕からスマホを取り上げる。
「新しい番号にかけるからあとでこの番号登録しといて」
兄が僕のスマホを耳にあて、遠くで鳴るスマホを探してリビングを出たので僕は自室に着替えに行く。
リビングに戻ると兄がふてくされたような表情でスマホを返してくる。
「あったの?」
「あった」
見つかった自分のスマホを操作する兄がネットでピザを注文し、ピザが届くまで僕たちはなにも話さずテレビを観た。
女のお笑い芸人が氷の張った湖に潜る番組だった。
ピザが届きチャンネルを替えテーブルで食べ始めたら兄が突然「お前の彼女妊娠したんだって?」と聞いてくる。
え、と声に出そうとしたけど出ない。心臓が痛いくらいに激しく鼓動を打ち呼吸が浅くなる。誰だ、誰から聞いた? 目まぐるしく色んな顔が浮かぶ。
「なんで知ってんの」声が震えないよう慎重に言う。
「お前のことはなんでもわかるんだよ」
兄が言い、蔑むような目で僕を見た。
「母さんに言ったのか」
「言ってない」
「早く言ったほうが良いぞ、お互いの親に。堕ろせなくなるぞ」
悪夢のあの感じがまたよみがえった。額から変な汗が出る。持っていたピザをトレイに戻す。
「自分で話すから絶対に言わないで」
僕が言うと、しばらく考えたのち「ひとりでどうにかできると思うなよ」と兄は言い、黙ってもうひとつのピザを咀嚼した。
ピザを食べ終えるとテーブルを片付けもせず鞄に着替えをパンパンに詰めて兄はまた家を出た。
絵梨花の生理がこないことを、友人の美濃たちに話した。美濃は家に来て兄と会ったことがある。でも連絡先を交換するほどの仲ではないはずだ。
誰が兄に話したんだろう。誰も信じられなくなりそうだ。
僕は自室に戻り、それよりも絵梨花のことをどうにかしなければと思った。兄が言った「堕ろせなくなるぞ」という言葉も気になった。
ベッドに腰掛けGoogleの検索バーにいつものように文字を打ち込もうとして手を止める。
検索バーにカーソルを合わせただけで出てくる文字列を見て血の気が引く。
兄は見たのだ。これを。
僕のスマホから兄が自分のスマホに電話をかけたとき、僕は部屋に着替えに行った。あの時勝手に他の操作をしようとして検索履歴に残っていた文字を見たに違いない。検索履歴には、「高校生 妊娠 中絶 費用 病院 」などで埋まっている。これを見れば誰でも、今僕が置かれている状況を容易に想像できるだろう。僕にスマホを返すときの表情がおかしかったのも合点が行く。
だから兄はカマをかけたのだ。中絶について調べていたのは僕自身の為なのかどうか、確かめるために。歯をくいしばらなければ押さえられないほどの怒りがわいてくる。
あの野郎。兄はいつもそうだ。幼い頃からずっと、僕は兄に騙されてきた。
意地悪で、卑怯で、無責任で。誰かの家を転々と泊まり歩き、浮浪者みたいな生活をしているのに大学の費用を払ってもらい、それを特にとがめられることもないので我が物顔でたまに家に戻り、汚れた洗濯物を置き洗濯済みの畳まれた新しい着替えを持って家を出る。
勝手気儘に生きているクソみたいな兄が、僕の一番弱っている部分を鋭い刃物で切りつけて帰った。
「ぁああーーー!!」
壁を蹴りつけ手当たり次第に物を床に投げつけた。泣いてしまいそうなほど悔しかった。
だから数日後に母が、朝玄関で靴を履く僕のところにつかみかかるような勢いでやって来て「女の子を妊娠させたんだって?」とつめよって来たとき、いつか兄を殺してやろうと思った。
「何ヵ月なの?」
「わかんない」
「いつ言われたの」
「2週間……いや、1ヶ月くらい前……かな」
「1ヶ月……」
母が凍りついたような表情で言ったとき、また兄の「堕ろせなくなるぞ」という言葉がよぎった。
「きちんと確認しなさい。いつから生理がこないのか、検査をしたのか」
「はい」
怒っていた母は次第に泣きそうな表情になり、僕の両腕をつかんで懇願するように言う。
「それが本当なら、お母さん、相手のご両親と話さなければいけないから、連絡先を聞きなさい」
「はい」
母の目が充血していた。
「必ずよ」
「はい」
「今日、必ずよ」
「わかった」
「わかり次第連絡して。休み時間でも構わないから、隠れてお母さんに連絡入れなさい」
「はい」
母を振り払うように家を出て、鉛のように重い足を引きずって学校へ行った。
絵梨花とはクラスが違うから、こちらから会いに行かなければならない。
僕たちの様子がおかしいので別れたんじゃないかと噂が回っている。だから僕が会いに行くときっとみんなから好奇の目で見られるだろう。でもそんなこと気にしている場合じゃない。
次の休み時間に、お昼休みに、と先伸ばしにしていたらとうとう最後の授業も終わってしまい、僕はさすがに焦って鞄を持って絵梨花のクラスに走った。もうみんな下校の準備を始めていて、教室の中にいないのを確認して階段を下りた。
絵梨花の後ろ姿はほかの沢山の人に紛れていてもすぐにわかった。
「絵梨花!」
僕が呼ぶとみんな振り返った。
「ちょっと話せない?」僕が言うと、絵梨花はすぐに「ん、いいよ」と答えた。何かを決意している顔だった。
二人でしばらく歩いて、人の流れから外れて、どこまで歩くべきか考えながら止まることも出来ず知らない道を進んでいたら「生理きたよ」と絵梨花が言った。
「まじ」
やった!と思った。繋がれていた重い鎖が砕け散ったような気分だった。でも喜ぶのは不謹慎だとさすがの僕でもわかった。だから拳を突き上げたいくらいの喜びを心の奥に押し込んだ。
絵梨花が立ち止まったので僕も止まる。ちょうど生理がこないと言われた時と同じような一方通行の道だった。
「別れよう」
絵梨花は言った。笑ってた。もう全部終わってると顔が語っていた。
「え……でも」
「結局なんにもしてくれなかったよね」
絵梨花が言って、僕はようやく絵梨花が怒っていることに気付く。
「ほんとにこのまま妊娠してたらどうしてたの? 無視してた?」
試されたのかという考えが一瞬よぎる。生理がこないと言って僕がどんな反応をするか試したのだろうか。まさか。でも。
「ごめん」
やっとのことで僕は言った。それで、母だ、母に連絡しなくちゃと思った。生理が来たと、妊娠じゃなかったと知らせなくちゃ。よかった、妊娠じゃなくてほんとによかった。だから僕は笑っていたのかもしれない。頬がゆるんでしまったのかもしれない。
それで絵梨花は言った。顔を歪めて、怒りとか、悲しみとか、憎しみとか、そういうものをごちゃ混ぜにした表情で、「ほんとにわたしのこと好きだったの?」と。
僕は考えた。好きって何を指すのだろう。
守りたいとか養いたいとかそういう気持ちを指すなら、僕は悪いけど持ち合わせていなかったかもしれない。だけど絵梨花を見ていたいと思ったんだ。今までに感じたことのない強さで。見ていたい。一緒にいて出来るだけ長い時間絵梨花を見ていたい。それは好きとは言わないのかな。
「好きだよ」
考えがまとまらないまま僕が言うと、勝ち誇ったような顔で「わたしはもう好きじゃなくなっちゃったから。じゃあね」と絵梨花は言った。
僕の返事など待たずに絵梨花は踵を返し行ってしまう。
追いかけようとも思わなかった。悪いことをしたなと思った。でもどうしようもなかったんだ。例えばどんな風に行動すれば良かったのか誰かに教えてほしいくらいだ。
ひとりで歩いて駅に着き、地元へ帰る電車を待ちながらLINEで母に連絡する。
——間違いだった
母からすぐに返信がくる。
——本当なの?
——ちゃんと確認した
そのあと既読にならず少し間があった。その間に電車が来て乗った。電車に乗っている間はスマホを見なかった。疲れたと思った。めちゃくちゃに疲れていた。つり革を持っている手に力が入らず離してしまいそうだった。しゃがみこんでしまいそうなくらいだった。なんにも体力を使うようなことをしていないのに。絵梨花に生理がこないと言われて、毎日毎日怖かった。それは初めて経験する種類の怖さだった。生理がきたと知って、心の底から安堵して気が抜けてしまった。そして僕は駅を下りて気づいた。今更だけど、なんだこれ、悲しい。ものすごく悲しい。もう好きじゃなくなったと言われてしまった。
服がびしょびしょに濡れているみたいに体が重かった。いつもの倍以上の時間をかけて駅から家まで歩き、玄関を開けると真っ暗だった。
母からの返信を告げる音がなる。部屋の電気を点けながら読む。
——自分で責任をとれないうちは軽々しくそういうことをしないように
僕はごめんと返信する。
勉強をしなさい、お兄ちゃんにも説明しなさい、女の子とのお付き合いは控えなさい。
母から次々にくるメッセージにすべてごめんなさいと返信する。
子供みたいだと思う。
いや僕は子供なのだ。何一つ自分で責任をとることが出来ない。
兄が母に伝えたことを腹の底から憎んだけれど、皮肉なことにそれが解決への糸口となった。
母にバレていなければ僕はいつまで経っても絵梨花に確認することができず悶々とした日々を送っていただろう。
母にバレて正直心のどこかでホッとしていたのだ。
暗闇のキッチンから炊飯器の炊けたメロディーが響く。
僕は制服を自室で脱ぎ部屋着に着替えてキッチンの電気を点ける。
炊飯器を開けると炊きたての白米から温かい蒸気があがる。
ご飯を茶碗によそいながらふと思い出す。
保育園から帰り、息つく暇もなく母が夕食の支度をし、僕と兄は遊びながら空腹をまぎらわせてご飯が炊けるのを待ったあの頃の母を。
いつも簡単なもので同じメニューばかりが並ぶ食卓だったけれど、母と兄と僕の三人で手を合わせ食べる母の料理はいつだって美味しかった。その日あった悲しかったことを母に話して聞いてもらえば、不思議と元気が出た。
「れんちゃん、我慢できたの? えらいね」と、頭を撫でてくれたあの頃の母に、強烈に会いたくなる。
冷蔵庫からスーパーの惣菜を取り出し、食卓に並べる。
情けない自分を鼻で笑い、ひとり静かに「いただきます」と手を合わせる。
咀嚼する音だけが耳の中に響き渡るので、耐えられなくなって僕はテレビをつける。画面の中の人たちが楽しそうに笑えば笑うほど、孤独が押し寄せた。
食べ終えて自室に行き、部屋のすみに置き去りにしていたピンクの紙袋に気づく。
そういえば有沢からもらったチョコレートを、食べていなかった。
美濃たちに絵梨花が妊娠しているかもしれないことを相談したとき、有沢が僕にチョコレートを渡しに来て、それどころじゃなかったからチョコレートを受け取ったことをみんなには黙ってて欲しいと有沢に言った。
そのあと美濃たちと話して、有沢からチョコレートをもらったのかと聞かれて「もらわなかった」と嘘を言ったのだ。彼女が妊娠して困っているのに他の女からチョコレートを受け取るなんてと美濃たちに思われたくなかった。「もったいねー」と美濃が言った。結局美濃たちに話したところで何一つ解決しなかったけれど、少しだけ心が軽くなったのだ。
恐る恐る包装紙を開けるときれいに四角いチョコレートが並んでいた。既製品ではなく手作りのチョコレートだということはわかった。
ひと粒口に入れてみる。日にちは経っているけれど、美味しかった。
美味しいけどそれ以上食べる気にならず、袋に戻してゴミ箱に捨てた。
もうすぐホワイトデーだから、何か買わなくちゃな、と思った。
去年までは母が用意してくれたけれど、今年からは自分で用意しようと思う。今年は有沢からしかもらっていないからひとつでいい。
ホワイトデーといえばマシュマロだろう、と思ってスーパーに行った。母が「マシュマロみたいなほっぺだった」と形容した僕の赤ん坊の頃のほっぺたを想像してマシュマロを袋の上から押してみた。柔らかかった。結局マシュマロは買わずホワイトデー用にすでに包装してあるクッキーを買った。
チョコレートをもらったことは有沢と僕だけの秘密だった。だからホワイトデーのお返しも誰にも見られずに渡さなければいけない。
有沢とは中学が一緒で同じ地元だから、駅で待てば会えるだろうと思った。
ホワイトデー当日じゃなくてもいいから渡せる機会があれば渡してしまおうと思って有沢に渡すクッキーはいつも鞄に入れていた。
するとそれからすぐに運よく帰りの駅で有沢とバッタリ会った。声をかけてきたのは有沢だった。
「やっと会えた」有沢は言った。
「ちょうどよかった」僕は言った。
「え?」
「あ、ちょっと駅から離れない?」
有沢を連れて駅前のロータリーから離れ不動産屋の前で立ち止まる。僕は鞄からクッキーを出して有沢に渡す。
「なにこれ?」
「クッキー」
「チョコのお返し?」
「ちょっとはやいけど」
「うれしい」
有沢は笑って僕を見る。
「じゃあな」と言って僕が歩き出そうとすると有沢が僕の二の腕をつかむ。
「待って話したいことが」
なんかやだな、と僕は思う。あまり僕にとって良い話じゃない気がする。
「なに?」
有沢に腕を掴まれたことで肩からずれた鞄をかけなおす。
「あのね」と言ったきり間が空く。僕は有沢と二人でいるところを誰かに見られたくないので周りを見渡して「なに?」と急かす。
「斉木さんと別れたんでしょう」
「あ、んー、まぁ」
「あたしと付き合って」
無理。
即答しそうだった。でもやめた。
うーん、と唸ってから「ごめん」と言うと有沢が「別れたばっかりだもんね」と眉を上げてわかったような顔で言う。
「いやそういうことじゃなくて……」
タイプじゃないって言葉が浮かぶけど傷つけない別の言葉を探す。
「わかった。大丈夫」
有沢が言って、何にもわかってないじゃんと僕は思う。
有沢は中学から一緒で、毎年バレンタインデーにチョコをくれる。高校に入ってからは数えるほどしか話していないのに、しかも絵梨花と付き合っているというのにチョコを渡してきた。僕のことを好きだと言ってくれるけど有沢が好きなのは僕自身ではないんじゃないかと思う。うまく言えないけど、僕のことを好きでいるって決めた自分自身の覚悟とか、誰かをずっと好きでいるという一途さとか、そういうものに憧れてて、僕自身の中身をよく見もせずに好きだって思い込んでいる気がする。好きで居続けてもらえるほど有沢とは接していない。だから傷つけてあげたほうが良いのかもしれない。僕はきっと有沢が思うような人間ではないのだし。
「いつから目悪くなったの」
中学の頃にはかけていなかった眼鏡をバカにしようと思い付く。
「悪くはないけど」
「ただの飾りなんだろ」
「うん……でも」
「ヘンだぞ、それ」
「え、ヘンかな?」
「似合ってない」
僕が言うと有沢はそっと眼鏡を外した。だから僕は黙って二回頷く。すると有沢は身に付けている衣服を脱いだ後みたいな照れた顔で僕を見て「こっちのほうがいいかな?」と言う。
なんか違う。言いたいことが全然伝わってない。傷つけようと思ったのにむしろ嬉しそうだ。それで僕はもうどうでもよくなって「いいんじゃない」と言う。
有沢は笑った。僕のことが好きなんだと言いたげな顔で。
「ありがとう、蓮太朗」
「ああ、うん」
女の子って、やっぱよくわかんない。
了
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