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叱らない育児への私の考え

私はどちらかというと叱らない育児を目指している。

私にとっての「叱らない」の意味は、「威圧しない」「恫喝しない」「親の権力で子を動かすエクスタシーに身をまかせない」こと。

威圧し恫喝し親の権力によって子を動かす教育は、正解が明白で大きな権力により沿って組織の中で従順に生きるのがよかった時代には、ちゃんと正解だったんだと思う。子が上位者に従順になるからだ。

しかし時代は変わった。今は正解が不明瞭で変化が多い時代。大きな組織が方針転換に苦しんでいる間にトリックスターが天下を動かす。
この時代に従順なだけに子を育ててしまえば、襲い来る変化にうなだれるだけになってしまう。

従順になるより、自主的になってほしい。

そんなわけで私は叱らない育児をしている。

けれどまったく叱らないわけではない。
時代は変わったといっても人は一人で生きていけない。どこかしらで他人と折り合いをつけて暮らしていく必要はあって、そのためのルールは子に教える必要がある。子に「やってはいけない」ことを教えるとき、ちょっと声に迫力がこもってしまうのはやむなしと思う。だって動物の子育てもそう。やってはいけないことを母ザルが子に教えるとき、あま噛みして「めっ」ってする。私は自分が母サルだと思いながら子育てしている。
でも同時に、「私は子供を制圧するのを楽しんでないか」と自問自答もしている。

いつの時代も子育てに正解はなくって、親はどうしたらいいかと迷いながらそのときのベストを探っている。

あとは、残念ながら世の中には恫喝的な人もいるので、そういう意味でも、たまには迫力の大人を見せとくのも経験かなと思っている。