赤ちゃんの成長のきざし、「自己主張」とのお付き合い
生後3ヶ月を過ぎた頃から娘に「自己主張」の片鱗がでてきた。新生児の頃は訳もわからずに泣く感じだったのが、明確に「いや!」と泣くようになった。
にわかにはじまった全力のいや!
私は基本母乳だが1日1回哺乳瓶を使っていた。
娘を預けて一人で外出して息抜きするには哺乳瓶に慣れていてもらう必要があったし、保育園にもいずれ通うから。
それが、哺乳瓶を口もとに持っていくと、
「あぇー!!」
身体を反らして全力で嫌がるようになった。
とにかくそれは突然はじまったものだから、私は目を白黒するばかり。
なんで飲んでくれないの?!と軽くパニクった。
そんなやりとりを何回も繰り返したけれど次第に、
(このいやいや!はどうやら娘にも「好み」がでてきたということらしいぞ)と事態が飲み込めてきた。
試しに夜寝ぼけているときに哺乳瓶を差し出してみると、
んくっんくっと娘はミルクを飲み下すではないか。
あなたは
「飲めない」のではなくて、
「飲みたくない」のね。
鮮烈な自己主張デビューにため息をついた。
いや!は成長の証らしいけど…
哺乳瓶拒否の詳しい経緯はこちらにも書いたので割愛する。
今回書きたいのは、新生児期を過ぎた赤ちゃんが徐々に見せはじめる、こういったなんともあけすけな自己主張との付き合いについて。
哺乳瓶拒否だけではなくて、
例えば外出先でレジに並んで順番待ちをしていると抱っこひもの中から大抗議の声が聞こえてきた。
「えぇーん!!」
なんで止まってるの!動いてよ!
…といったところか。
私はその場で足踏みしてあやしながら、「会計早く終わってくれええ!」と念を送った。
「こうやって生理的な不快以外の理由で泣くというのは、赤ちゃんが成長して考えたり知覚できることが増えたからこそ」「あなたを信頼してるからこそありのままの本心を赤ちゃんは伝えるのよ」とネットや本は私に諭したけれど。
そうは言われてもねぇ…。
普段私は、こんなに全力のいや!に遭遇したことはなかった。
誰しも多少の不満は抱えて生きているけれど表に出したりしない。
不満を伝えるにしても
「あ、すみません、前進んでいるので詰めてもらえるとありがたいのですが…」
と済まなそうに言って、
他者に反感を持たれないよう気を配る。
だからこんなに有り体に全力で泣かれると勝手に動悸がするし、なんだか悲しくなってしまった。つい泣きそうになったりもした。
赤ちゃんの自己主張に困ったら
赤ちゃんの全力のいや!に困った私は、
捉え方を変えてみた。
それは、赤ちゃんの脳ミソを思い浮かべること。
人間の脳はざーっくり言うと、本能や感情を司る部分が中心にあって、理性を司る部分がそれを包み込んでいる形をしているらしい。
生き物として最初から持っていた中心を、進化の過程で制御できるように外側が発達したとか。
赤ちゃんがありのままをさらけ出すのは、脳の中心はできていても外側の理性部分の発達がまだ未熟だからというのもあるらしい。
大人と赤ちゃんでは、
色んなことが違う。
だから
「ちょっと相手してもらえると嬉しいなぁ」
と大人だったら理性の力で言えるところが、「ええーん!」
と感情むきだし大泣きになってしまうのだろう。たぶん。
「いや!」と泣かれたらそのイメージを頭に呼び起こした。
案外言おうとしてるのは「ねぇーちょっと相手してよ」なのかもね、と。
イメージの力ってすごい。
そう考えると少しは動悸が収まった。
…ま、ダメージがまったくないわけではない。
お父さんとお世話を交代しながら息抜きをする、が最終的な対処法だった。
結局のところ。
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それにしても、娘の主張のみずみずしいこと!
あんなに全力で、身体を震わせて泣けるなんて。
こちらはパトラッシュの力を借りないと
涙のひとすじも流せないというのにね。
ちょっと羨ましい。
脳が発達して理性で感情を抑えられるようになることは、
他人と協調できるようになる素晴らしさもあるけれど、
度が過ぎると自分を押し殺し我慢ばかりして
苦しくもなったりもするのだから。
ちょっとは娘を見習ってもいいかもしれない、ね。