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雨やんだ夜にママチャリ逃避行

日曜日の夜、帰ってきた夫に夕食を差し出して聞いた。

「おとうさん、外出てきていい?」

昼間、娘がゆるく熱をだしたものだから、あぁ明日は保育園はお休みさせよう、そう思った次に、無性に外の空気を吸いたくなった。それで、夫の帰りを首を長くして待っていた。

夫はするりと答えた。

「いってら。」

もこもこが付いたマウンテンパーカーをさっと羽織り、がちゃりと玄関の戸を開ける。
冷たくしめった風がやけに心地よくて、私は深呼吸。

これから私は、ママチャリを転がしてここから逃避行する。

(脳内BGM: よるのとしょかん)


ゆるく坂道が続く。

最近になって練習して、やっと自転車に乗れるようになった。
念願の電動子のせ自転車。
上り坂でのギアの使い方がいまいち分からない。
ネットで調べたけれどはっきりしたことは書いてなくて。ギアの構造の話をされても。
とりあえずギア1にしてきこきこ漕いでいる。それが一番電動がアシストしてくれるとかなんとか。本当のところは私には判断しかねる。

夜の住宅街はひっそりとして、車もまばら。
きこきこ、きこきこ。
細かく、でも力は入れずにペダルを漕いで、電動にアシストしてもらって、ゆったりと道路の隅を堪能した。
この自転車に愛称を付けたい。何にしようかな。


街明かりが増えてきた。
2時間駐車無料な駅ビル駐輪場は、朝に行こうものならいちぶの隙もなく詰まっているが、今はそことあそこが使われているばかりだった。
子乗せ自転車はとにかく大きくて、私はふうふういって駐車する台にタイヤを乗せた。そんなにまごまごしても文句を言う人は今はいない。そもそも私以外いないのだから。

あと30分もしたら閉店時間だけど駅ビルに入った。
コスメも充実したドラッグストアに吸い寄せられる。
テスターが豊富なのはありがたい。手の甲がカラフルになっていく。
リップの色はベージュにしようか、ローズピンクにしようか。
なんにでも合いそうなのはベージュだし、かわいらしさがあるのはローズだろう。職場に持っていくポーチに入れるつもりだが、さてどちらの私になろうか。
レジに行く。
レジのお姉さんがクレンジングを貸してくれた。嬉しい。

本屋さんをみて、カフェでお茶するか考えて…そういやコスメを買ったしなと思い直し我慢。

商店街をふらふら。久しぶりにカラオケでも入ろうかしら…と看板を眺めていたら「何時間にする?」「1時間」「4人じゃすぐおわるじゃん」と若い声。とっさに横にあったビルの掲示板を見るふりをして声が遠ざかるのを待つ。場違いなところに来てしまったかもしれない。嘆息。そうコスメを買ったのだから別の日に楽しんだほうがいいのだ。うん。

1杯飲むか…いや一人で飲むの怖いしやめとこう。

子育てにいそしむ毎日に、私はすっかり夜の街の渡りかたを忘れてしまったようだ。
それでも静かな街は余白が多くて、ただ歩いているだけの私を、街灯は追い払いもせずのんびり照らしてくれるのだった。

手持ち無沙汰になってきて、自転車のそばへ戻った。
もうちょっとだけ。私が「ママ」に戻る前に、もうちょっとだけこの寒空に泳いでいたい気分。

そんなとき24Hな何でも屋の看板が白く光っていたら、誰が無視できるだろう。

夜のコンビニエンスストアにはいろんな人が誘われていた。
休憩に来たらしい運送屋のおじさん。
夜のおやつを買いに来た女子高生。
そして束の間現実逃避にやってきたアラフォーママも。
みんなしんと静まる夜を越える前に、ひととき休みたいらしい。

豆乳でも飲もうかと思っていたけど、はたとアイス売り場が目にはいった。
私は夜のアイスが大好きだった。お疲れ様アイス。
最近買わなくなった。家族が増えて節約のためでもあるし、私が食べると子どもも食べたがる。子どもが夜アイスを習慣にするのは虫歯と体重によくない気がして。おかげさまで私も体重がちょっとだけ軽くなった。食べなくなったのはそれはそれでいいこと。だけど。
今日くらいはいいのではないか。

道脇に停めた自転車によいしょとまたがって、私はパピコをぱきっと折った。
私はパピコを食べている。だからまだ家には帰らない。
自転車は黙ってベンチの役目をはたしてくれた。

ちゅうちゅう吸って、ぼんやりと道路を眺めた。

今日は久しぶりに昼間に雨が降った。おかげで空気はじんわり潤っていて、空気の冷たさを和らげてくれる。
路傍の草花も喜んでいるかもしれない、森も見当たらぬ街中にあって、こんなに香るのだから。
時々車がさーっと通っては、また静かになった。

今私に話しかける人はいない。

「ただいまー」

リビングに入ると娘は端っこをうろちょろして、夫はそれをのんびり見ていた。
買い物袋から新色リップを取り出してパッケージをはがたところで、小さな手がかっさらっていった。
お風呂を支度して戻ってきたときには行方不明になっていた。

いいのだ。探そうとして躍起になるほど見つからない。
淡々と毎日を過ごしていれば、そのうちひょんなところから顔を出してくれるだろう。

焦らないこと。時間が解決してくれること。慣れない子育ての日々で体得した戦訓は、ありふれすぎて生き急いでいる時には目に止まらないものだけど、あんがい真理なのかもしれない。


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