子育てと趣味

Q:子育てが始まると趣味はできませんか?

A:そうですねぇ。難しいですねぇ。。子育て前にしていたような形では。でもね。。

私は長く続けている2つ趣味がある。
ひとつはピアノ。もうひとつは茶道。
なんだかお嬢様のような趣味だが、私はペヤングが好きなふつーの庶民だ。ただ小さい頃から歌ったり踊ったりが好きだった。おじいちゃんが大好きで一緒に時代劇「暴れん坊将軍」を観ていた。それが合わさっていつの間にか趣味になっていただけだ。
だから念願の子供を授かり有頂天になったのと同時に、自分はもうどちらの趣味も続けられないのではと、すごく不安になった。妊娠は自分で選んだことだから、このうえ趣味もやりたいなんて贅沢な願いだったかもしれない。とはいえ、そう思ってしまうくらい、どちらの趣味も私の大切な一部だったのだ。

さて。
その後子どもが生まれて実際のところどうなったか。
子育てをしながら趣味を大事にすることはできたのか。

もうすぐ娘の1歳の誕生日だ。
結論からいって、私は趣味を続けている。
ただやっぱり、やり方は子育て前とだいぶ変わった。

子育て後はまとまった休みのない長距離ランナーとして7割ペースで生活している、と以前書いた。※以前のnoteはこちら

これは趣味にも影響してくる。
1日の活動量が7割になっていて、子育て前のように1日にフルパワーでいくつもの用事をこなす気力体力はない。その限られたリソースから、育児をやって家事をやって一息ついて。。残った時間が「さて趣味でもやろうかね」と思える時間だ。
1回あたり15分。長くて30分。子どもが予想より早くぐずりだせば5分とかの時もある。それが1日あたり2回、運がいいと3回といった感じ。
ちなみに生後0-4ヶ月くらいは最強クラスのかまってちゃんですぐ泣いたり眠くなったりお世話に右往左往して大変だった。気持ちに余裕もないし、時間が取れるようになったのはそれ以降のことだ。子どもの性格によっても時期は前後するかもしれない。

そう。子育て中の趣味を表現するキーワードは「細切れ」だ。 
まとまって2、3時間かけて趣味をするのは、夫なりじいじばあばなり一時保育なり、他人の支援が必要だ。頼れるものはめいっぱい頼るとして、とはいえ頼る先がないときだってある。
自分ひとりで趣味に捻出できる時間といえば、5、15、30分といった細切れだ。
その細切れにできることをコツコツやる。

コツコツのハードルも、上げすぎるとしんどくて続けられない。子どもの様子は日によって目まぐるしく変わる。今日はうまく細切れ時間を取れても、明日は夜泣きで寝不足でそれどころでなかったり。できないときは、やらない。
できるときにできる量をやる。やれたらラッキー。やれなくても、育児というそれなりに物量のある仕事をしてるんだから当たり前だなぁと思う。育児は長距離走。ペース配分7割だよと心がけている。

そんなちまちまとした進み具合で、果たして「子育てしながら趣味を続けてる」と言えるの?と突っ込まれてしまいそうだ。

うーん、そうですね。
人によっては続けてるとは言わないでしょう。

でもね。
案外ちまちまだから良かったこと、分かったこともありましたよ。

細切れの時間に趣味を細々続けていて、感じたことがある。
時間をめいっぱいかけれることで、逆にみえなくなっていたこともあるんだと。

子育てを始める前は、1年に1曲発表会でピアノを弾いていた。それが妊娠してからここ2年はずっと同じ曲をやっている。だからレパートリー数という面ではがくっと落ち込んだ。私は曲を覚えるのはそれなりに所要時間が必要だからそうなってしまった。
けれど不思議なことに、演奏技術の面では、子育てを始める前よりできることが増えたらしい。
はいそこまでOKです、と言ってくれたスマホ越しのピアノの先生に、「なんか前より誉めていただけることが増えたような気がするんですが。。」とおずおず聞いてみる。
「そうですね。私もそう思います。今1つの曲をじっくり取り組めているのは良かったかもしれません。それに、練習も全体を通して弾くのでなく、ポイントを絞って出来ないところを集中してやってくださっているのもあると思いますよ。」
そうなのだ。以前は時間があるものだから、ついぐわーっ!と一曲最初から最後まで弾いてしまっていた。気持ちよく自己陶酔。1人カラオケといってもいいかもしれない。時間が細切れになった今はそんな時間はない。だから、次のレッスンまでにここだけは出来るようになっておたいと思うところに絞って何度も練習している。それが良い方向にでているらしい。

趣味を続けるって色んな形があるんだなと、子育てがはじまって気づいた。
がっつり時間を取ってレパートリーを増やす時。
ちまちまとつづけながらひとつひとつを大切にする時。
はたまたすぱっと一旦離れるけれど、心のなかではいつかまたと焦がれる時。

それぞれに良いところがある。
その時その時の自分の在り方で柔軟に変えていきつつ、その趣味とのご縁を手放さなければ、それは立派に「趣味を続けてます。一生かけて。」と言ってしまっていいんじゃないかな、と私はのんびり思うのだった。