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時短勤務ワーママの修羅場な年度末①~修羅場中に家族団結するには

このたび私は1ヶ月間、年度末で納期に潰されぺしゃんこになりながらゴール(=納品)を目指す羽目になった。逆境で感じるワーママ生活の悲哀、悲喜こもごも。今回はそんな辺りを思いで語りしたいと思う。

  • 私…時短勤務で去年4月に復帰した。1歳娘の母。IT企業で小規模プロジェクトマネージャー。

プロローグー暗雲垂れ込めてきたぞ

(う…なんか予定が詰まってきたな…)

ガントチャート手帳を見返して私はひとりごちた。
プロジェクトが平行で年度末の3月納品にむけて走っていくことになってしまった。

(わたしは時短勤務なんだから、時間内で駄目そうとなったらヘルプを出せばいいじゃない。それにトラブルさえなければ日数的には余裕がある。落ち着け落ち着け私。) 

頭を振って、悪い予感を必死に払おうとした。

けれど世は無情かな。そう上手く事は運ばなかった。
私が年度末に向けて慌ただしくなるのと同じように周囲だって忙しくなっていたのだった。いきおい、「ちょっとこれ終わらないんですけど…」と言いづらくなった私。そして残業時間はずるずる増えていった。

私は悟った。
時短勤務という制度があることはワーママにとってありがたい。
けれど制度があったって職場復帰後の部署が上司同僚がめちゃ忙しいところだとしたら、時短勤務はネームプレートの上にちょこんと書かれているだけのお飾りになってしまうんだ、と。

そんなこんなで私は実質フルタイム状態となった。ただ最大でも19時までで済んだところは、周囲が気をつかってくれたんだとも思う。

さてここからはそんな生活で感じたエピソードを書いていく。

エピソード1:揺れる家族は団結を手にする

ショック!家族にだけは分かってほしかった

勤務時間が増えたことで、恥ずかしながら家族の方に影響が出てしまった。
お父さんから苦言を呈されたのだ。

「どうも怖い顔をしていて、雰囲気が悪いよ。」

タスクの優先度を組み換えて綱渡りしながら日々をなんとかこなそうとして、頭がフル回転だったこともあり、私はそれに気づいていなかった。

言われた瞬間、申し訳ない、情けない、
そんな気持ちが沸き上がった。
同時にこんなことを思った。

お父さんにだけは味方でいてほしかった…

私だってこんな風に仕事をしたかった訳じゃない。苦しくて、でも放り出すこともできなくて。とにかく今の納品ラッシュを乗り切って、またもとのように家族の団らんを取り戻したいと頑張っていたのに。
なんだか虚空にぽんと放り出されてしまったよう。孤独ってこういうことなのかな。

「母」と「生身の私」の狭間で

ただ、しばらくすると少し冷静にもなってきた。

(お父さんの言うことももっともだ)

私はもう娘みーちゃんの母親になっている。
独り身の時のように仕事のストレスをまんま放出していい身分じゃなくなっているのだ。

(そうだ、私は「母」だっだ。)

覚悟を決めよう、みーちゃんのために。
みーちゃんがのほほんと健やかに成長していくためにも、どーんと構えられるようにしよう。

そう雄々しく考える一方で、こんなことも頭をよぎるのだった。

(でもそしたら「生身の私」の苦しさはどこにいくの…?)

だって私が苦しい気持ちだって事実なのだ。いくら家族の前で穏やかな「母」でいられたとしても。本音が違うならいずれどこかで破綻する気がして…。

いや違うな。
1か0か、白か黒かで考えるから追い詰められるんだ。
「母」か「生身の私」かではない。
どっちもありつつ家族と調和できるバランスを探そう。

家族に仕事のことをちゃんと説明していたか?

「お父さんには分かってほしかった」と書いたけれど、よくよく思い返してみれば、どうしてそんな状態になってしまったのか、私はお父さんに説明できていなかった。 
お父さんから見れば、なんだか分からないうちに残業時間が増えたりぎすぎすした様子になった感じだったのだろう。
それでは共感してもらえないのは当たり前だった。
会社の状況、私の状況、そして私がどんな気持ちでいるかーそういうことを、少しずつ共有するよう心がけてみた。
今日こんなことがあったんだー。
お父さんはどんなことがあった?ーって。

だから理解してと強要するわけではない。
それでも、事情を知らずにいるより知ったほうが、なんとなく家族に「この状況をいったん乗り切るぞ」的な一体感がでてきた気がした。

あとお父さんから言われたことに配慮して、怖い顔面になりすぎないように気を付けたのはもちろん。
けれど事情を話してあり夫婦に共通理解がうまれたから、完璧でありつづける必要もなくなった。

時にはつとめて穏やかに。
でもどうしようもない課題にぶつかったときはしょんぽり顔もする。
「完璧な母」じゃない、
「私らしい母」になったのだった。
それが娘にどう評価されてるかは、
もうちょっと大きくならないと分からないけれど。

夫婦の意識共有は定期的に  

人間は変化していく。
いつもと同じ相手だ思ったら大間違いだった。
自分のコンディションも変わり、相手も変わる。
大変なときこそ、
どんなことを苦しく思い、
どんなことに喜びを感じるかを
コミュニケーションするのは大事だなぁと
つくづく身に染みたのだった。

補足:この間の家事について

ちなみに修羅場中は晩御飯作りを放棄。
平日は宅配弁当を注文した。

あとは洗い物は食洗機。
そして調整して早く帰ってきてくれたお父さんが保育園のお迎え、家事育児を8割やってくれた。私はほんとに恵まれている。これがなかったら早晩ダウンしていたことだろう…。
女性活躍の裏に夫の家事分担あり。

次回予告

長くなったので今週はここまで。
次は「修羅場中の時短ワーママ、上司同僚とどう向き合う?」編の予定。
次回も読んでくれたら幸いです!