遊びはおしごと
赤ちゃんの遊びって、お仕事だよなぁ。
私の水筒のフタをあぐあぐする娘を見ながらあらためて思う。
先ほどまで。
私は台所で今週の朝食セット、手づかみ食べ用卵焼きをこしらえていたのだが、うー!と言いながらしきりに娘が絡んできた。
しばらくごめんねーと言いながら家事を進めていたが、本格的に旗色が悪くなってご機嫌を損ねてきた。これ以上いくと泣きわめいて何もできなくなる。諦めてリビングのプレイマットに腰を下ろしたのだった。
娘はフタを私の手に渡してくる。
「どうぞしてくれるの?ありがとう。
はい、どうぞ。」
フタを娘の手に返す。
「ありありむにゃ…」
「そうだね、ありがとうできたね」
何で赤ちゃんのすることって、「遊び」とか「いたずら」とか呼ぶんだろう。
それはれっきとした学習だった。
私と繰り返したやりとり遊び。
そこから言葉が芽生えようとしている。
そもそも。
うー!と自分の気持ちを伝えて、すぐではなくとも親がちゃんと時間を作って応えてくれるという過程は、「自分は大切にされている」「自分の気持ちを言っていい」と愛着を形成してくれる。
成長にとって、とても大事なことだ。
…て、赤ちゃん教室とかネットに漂う先人の知恵の受け売りなんだけれど。
へーなるほどーと言いつつぴんときていなかったりもしたが、少しずつ実を結ぶところを目の当たりにしてガッテンした。
そういうわけで、赤ちゃんの遊びは遊びではなく学習。赤ちゃんにとってのお仕事だ。
それに付き合う親も、余暇として遊んでいるわけでなく、親としてお仕事をしているんだよね、と心のなかで呟いた。
それはさておき。
さっきから卵焼きがまな板の上で切り分けられるのを待ってるんだよなぁ。。