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昭和の時代に吹奏楽部に入ってたはなし①:中学1年

こんばんは

連休はずっと雨で天気悪かったですが、今週に入ってからは気持ち良い秋晴れが続いていますね。。。暑すぎず、心地良い風が吹くこの季節は本当に良いものですよね。
が、株はダダ下がってますねぇ。。為替も日銀の介入も意味があったのかなかったのか・・・今のところ私のNISAのポートフォリオはアップデートはなく、しばらくは様子見ですね。が、投信の方で債券の投信を追加しようかどうしようか考え中・・・

さて。

これまで、私の人生振り返りで・・・外資金融で働いてきたはなし・カナダ語学留学のはなしなどを書きましたが、私の人生にもう一つハズせないネタがあるので・・・・古い古い話になりますが、書いておこうかなと思います。
何かというと・・・吹奏楽/サックスです。

4歳の頃からピアノを習っていましたが、ピアノは本当に苦手でした(汗)・・・
母の「女の子が生まれたらピアノを習わせたい」という夢のために始めさせられたのですが、私はあまり向いてなかったようです。。。
ですが、そのおかげで小さい頃から音楽に触れていたので、楽譜も読めるし、耳も鍛えられたので(恐らく後の英語を学んだときに役立ったかと)決して無駄ではありませんでした。
父の仕事の都合で引越しが何度かあって、その度に先生が変わったのもモチベーション下げる一因だったかも知れません。
最後は小学校6年生のときのピアノの先生が、先生のご主人のお仕事の都合でアメリカに引っ越ししてしまったので、それで新しい先生も探さずにピアノは辞めることにしました。

1985年(昭和60年)の話です。。。
当時は奈良県に住んでいました。
地元の公立中学校に入学しましたが、もともとめちゃくちゃ運動音痴だった私は、部活で運動部に入るという選択肢は全くありませんでした。(両親は身体を鍛えるためにも運動部を勧めてきましたが・・・)
ピアノも習っていたし、小学校では器楽クラブだったし。それに、フルートって可愛らしくて素敵だから吹いてみたい!っと思っていた私が吹奏楽部に入るのは自然なことでした。

でも。

楽器は自由に選べないと知ったのは入部してから(汗)

女の子は皆フルート希望・・・でも、フルートの新1年生の定員は2名だけ。

決め方は・・・

じゃんけん!

一発で負けてしまいました(泣)

えっ・・・どうしよう。。。

ぼー然としてたら、先輩が「この子、背が高いからバリサク!」と、私を指して言ったので、そのまま「バリサク」に決まってしまったのでした。
※当時私は154センチくらいで、まぁ中1にしては背が高めの方でしたかね。

えっと、バリサクって何??

バリトン・サックスです。

フルートを可愛らしく吹く私の夢は一瞬で消え、木管楽器の低音パートを担うバリトン・サックスを吹くことになり、ここから私とサックスの付き合いが始まるわけです・・・

ちなみに。。。。サックス(サクソフォン)は1840年ごろベルギーのアドルフ・サックスさんが発明した楽器で、わりと新しい楽器です。
種類はソプラニーノから・・・と思ったらソプラニッシモというのもあるみたい・・・

ソプラニッシモ
ソプラニーノ
ソプラノ
アルト
テナー
バリトン
バス
コントラバス
サブコントラバス

・・・らしいです。(ソプラニッシモとサブコントラバスは今まで知りませんでした・・・)
吹奏楽で使われるのはソプラノからバリトンまでですかね。ソプラノもアルトと持ち替えだったりなので、メインはアルト・テナー・バリトンですね。

ところで。
現在は、公立の中学校でも各楽器に専門家の指導が入ったりするようですが、昭和の終わりの田舎の公立中学校では専門家の指導などは受けることはできませんでした・・・
私が行っていた中学校の吹奏楽部は当時は奈良県大会のダメ金(金賞だけど県代表にはなれない)常連だったのですが・・・2年生・3年生が1年生をイチから教えるという形で、まぁ、今から考えると誤った指導もたくさんあったと思います。
おまけに、私の中学は、もっと昔は奈良県代表で関西大会まで出てたらしく、その頃のOB達がいろいろ口出し・・・いや、えっと指導してくる学校で、顧問の音楽の先生はよそ者だし吹奏楽の経験もないし・・・ということで、まぁなんていうか、お飾りだけで、合奏の指揮も指導もOBがやってました(とはいえ、音大生とかじゃない単に吹奏楽愛好家の素人・・・)。。。現在では考えられないかも知れませんが、そんな形で吹奏楽部が運営されていました。

バリサクって何?から始まった私。フルートを吹く夢も一瞬で消えて、どうしようかと思ってましたが、バリサクの先輩が少女漫画に出てきそうなくらい美しくて素敵な先輩・・・「エースをねらえ」のお蝶夫人みたい・・・だったので、先輩みたいに吹きたいっと、だんだんサックスが楽しくなってきました。
サックスは運指は誰もが小学校で習うリコーダーと似ているので、覚えやすく、マウスピースで音が出せるようになったら、楽器を鳴らすことは(たぶん)どの楽器よりも簡単かも知れません。(運指はどのサックスも基本的に同じです)それでも、初めて楽器の音が出せたときは、感激したのを覚えています。

吹奏楽部の活動のなかでもハイライトでもある(だいたい県大会などは8月にある)吹奏楽コンクールは、その年の1年生は基本的に出られませんでした(人数制限もあるため)。私たち1年生は、本番は乗れませんでしたが、その年の吹奏楽コンクールでうちの中学が演奏したのは・・・(1985年です)

課題曲C:シンフォニック・ファンファーレとマーチ
自由曲:A.リード作曲「吹奏楽のための第三組曲」より第2楽章・第4楽章

この年も所謂ダメ金でした(金賞だけど代表じゃないやつ)でも、先輩たちの演奏を客席から聴いていましたが、とても誇らしかったです。(このときも、指揮者はOBの大学生。(音大生じゃない)何でやねん・・・)

そして、ようやく1年生が初めて舞台で演奏したのは、同じく8月に隣町のホールでの何かのイベントだったかな。

マーチ「わかくさ」(1984年に奈良県で行われた国体の行進曲)
「あなたをもっと知りたくて」(薬師丸ひろ子の曲)←なぜこの曲だったのかは不明・・・

だったと記憶してます。
バリサクは低音楽器なので、伴奏パートがほとんどです。でも、合奏の楽しさを知り、ホールにたくさん入ってるお客さんの前で吹けたのがとっても嬉しかったのを覚えています。
ここから、どっぷり吹奏楽にハマって行ったように思います。

学校内のイベント(運動会など)で吹く以外にも、老人ホームに慰問演奏に行ったり、新年の町の消防団の出初式で吹いたり・・・学校外でもいろいろ吹く機会がありました。
運動会では、全校生徒の入場行進のための行進曲など吹いたかな。ロッキーのテーマはよく覚えてます(行進曲じゃないけど)・・・たぶん、バリサクのパートもまだ覚えてると思います。

年が明けると、わが中学ではスプリング・コンサート(スプコン)というのがあって、OBの楽団と隣の中学校とのジョイントコンサートがあり、その準備で明け暮れる日々でした。
当時流行ってたおニャン子クラブの「セーラー服を脱がさないで」とか吹いた記憶が・・・
あと、中学校の吹奏楽部では誰しも必ず吹いたことある(?)作曲家ジェームズ・スウェアリンジェンの「アヴェンチューラ」も吹きましたねぇ・・・でも、あれ、あとは1年生のときのスプコンで何吹いたかあんまり記憶がない(汗)・・・まぁ36年くらい前の話なので(汗)

スプコンの練習は、通常の部活の時間(放課後の時間)だけではなく、日曜日も町の文化センターで朝から晩まで練習していたので、本当にへとへとで勉強どころではなくて、親からは「勉強に支障がでるようなら部活辞めなさい」と言われるくらいでした・・・
でも、本番を終えて、とても達成感を感じました。また、舞台に乗り、お客様から拍手を頂く嬉しさを改めて感じ、いくつかの本番経験を経て少しは舞台度胸もついてきて、練習は大変だったけど、でも、吹奏楽が楽しくて仕方ありませんでした。

・・・つづく

最後まで読んで頂きましてありがとうございました。
またよろしくお願いします!











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