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昭和の時代に吹奏楽部に入ってたはなし②:中学2年

こんばんは

今日も1日おつかれさまでした。
秋晴れの気持ちの良い日が続いてますが、あっという間に10月ですね・・・今年もあと残り3ヵ月だなんて、時間が過ぎるのが早すぎてびっくりです。

それにしても。
今日は日経平均上げてましたが、マーケットは確固たる明るい展望がなかなか見えてこない状況かと。。。私のNISAのポートフォリオは特段変更してません。。。でも、マーケットは上がれば下がるし、下がれば上がるし・・・まぁ投資というものは、長い目で見ていくべきものだと思っているし、しばらくは我慢の様子見ですね・・・

では、話の続きを。。。

スプリング・コンサートも終わり、新学期。
中学2年になると後輩たちが入ってきました。サックスパートには、アルト・テナー・バリトン、そしてバスクラの4人が入ってきたと記憶してます。
そうなんです。私のいた吹奏楽部は木管低音のバスクラ(バス・クラリネット)・ファゴットもサックス・パートに入れられていたのです。バリサクと同じようなパートを吹いてるので、まぁ違和感はそこまでなかったですが、でも、不思議ですよね。。。私の学年もアルト・バリトン(私)・バスクラの3人でした(テナーがいなかったのは楽器が足りなかったから・・・)

先輩たちが教えてくれたのと同じように1年生に教えていきましたが・・・本当にあんな教え方で良かったのか・・・(汗)
とにかく、1年生が何とか音を出せるようになってきた頃、2年生・3年生は夏の吹奏楽コンクールに向けて本格的に動き出すわけです。

1986年です。多くの中学校が課題曲D:コンサート・マーチ「テイク・オフ」を選ぶなか・・私の学校は
課題曲B: 嗚呼
自由曲:グラズノフ作曲「四季」より「秋」

テイク・オフも練習しましたが、なぜか「嗚呼」に・・・まぁ嫌いではありませんだけど、けっこう難しかったような記憶があります。グラズノフの秋はとてもきれいな曲でしたね。
夏休みも前半はずっと練習・・・初めて吹奏楽コンクールの舞台に立つ嬉しさと緊張のなか、舞台からの客席の眺め・・・覚えてます。
この年もダメ金でしたね。。。

そして、つかの間の夏休みの後、この年はOB達が盛り上がって(たぶん)、ストップしていた定期演奏会を10月にやることになったので、その練習がスタート。
「シンフォニア•ノビリッシマ」は難しかったですが、カッコ良くて今でも好きな曲です。
「エルザの大聖堂への行列」は、良い曲ですが、バリサクは伸ばしの伴奏ばかりで、吹きながら寝そうになったような。。。

1部
コンサートマーチ「バンドロジー」
チェスホード・ポートレート
嗚呼
「四季」より「秋」

2部はポップスメドレー(「北斗の拳」などをやったかと・・・)

3部はOBとの合同演奏
シンフォニア・ノビリッシマ
エルザの大聖堂への行列
ア・ディープ
ディズニーメドレー

アンコールで映画「風と共に去りぬ」の「タラのテーマ」を演奏し、それに合わせてこの定演で引退する3年生のスピーチがあって、なかなかの感動のフィナーレでした。

3年生が引退したので、私たち2年生が部活を引っ張っていくことになり・・・私はサックス・パートのパートリーダーに。
そして、指揮者がOBの大学生の先輩から、OBでも何でもないその先輩の大学の後輩になったのですが・・・OBでもなくて、とある吹奏楽強豪校出身の吹奏楽愛好家の大学生・・・というだけなので、今の時代だったらあり得ないことだと思います。。。でも、まだ当時中学生の私たちは何の疑問も持ちませんでした・・・しかも、中学生から見た大学生です・・・カッコ良く見えたんですよね(笑)

そしてまた、スプコンの練習が始まる・・・という、休む間もないかんじで追われていました。2年生なので、それぞれ役割分担して企画やら何やらいろいろやった記憶が・・・

スプコンではクラッシックのメドレー、シルクロードのテーマ、美中の美、ポップス・メドレー・・・という感じのステージでした。

ところが、このスプコンを終えた時点で、テナー・サックスの1年生が転校することになり(私たちの学年はテナーがいなかったので)テナー・サックスを吹く人がいなくなってしまう事態になってしまったのです・・・・そのため、サックス・パート内で担当楽器の変更が行われたのですが・・・

なぜか私が。。。。えええ??

・・・・つづく
最後まで読んで頂きましてありがとうございました。
またよろしくお願いします!







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