読書とドーパミン(「ドーパミン中毒」読書メモ)

先日書いた「他者といる技法」に続き、これもX(Twitter)で見かけて興味を持った。

開始から10ページで筆者の『恋愛小説依存症』が率直すぎるほどに書かれており、私はとても戸惑った。そして心のどこかで、この本のターゲットは自分ではないと思っていたことに気が付いた。
私はX(Twitter)はやっているが、それ以外のSNSはやっていない。電子書籍は苦手で、紙の本を読むのが好きだ。「ドーパミン」については、スマホ依存、SNS依存等を起こす場合に害になると思っていた。

「小さな頃からずっと読書家だった私が本の虜になるということ自体は特に異常なことではなかった」筆者だが、「いつもとは違うこと」「過去の嗜好や当時の人生からでは説明できないようなこと」である「衝動的な摂取」が起きた。

筆者の体験や、薬物依存症、性的な依存症、アルコール依存症の患者の例を読みながら、彼らと私の違い、筆者の『恋愛小説依存症』と私が『本を読んでいる時の様子』の違いを考えずにはいられなかった。

第2章で筆者は、「私たちは皆、苦痛から逃走している。(中略)中にはソファーに寝そべり、ネットフリックスを一気見する人がいる。恋愛小説を読む人もいる。私たちは自分自身から気を逸らすためなら、ありとあらゆることをしてしまう」と述べる。
私は、「私が読書をしているのは楽しいからだ」と思っていた。しかし改めて考えると、本を読んでいる間、私の意識は自分自身(現実)から逸れている。無意識のうちに自分自身から逃れるために読書に耽っているのだろうか?

筆者は「約2年間衝動的に恋愛小説を貪って、私はついに、もう楽しめる本が見つからないという状態に辿り着いた。それは、小説を読んで快楽を得る回路が酷使され、燃え尽き症候群になってしまい、もうどんな小説でもその回路を蘇らせることはできないというような状態」になった。
私は恋愛小説は特に好きではないが、推理小説は好きだ。アガサ・クリスティの作品を読み進めているが、いつかすべての作品を読み終えてしまう時が来ることを、今から寂しいと思っている。
実際、作品数の少ないシャーロック・ホームズは、未読の話を読むのは控えてすでに知っている話を繰り返し読んでいる。すべて読んでしまうことは、私にとっては目標達成した状態ではなく、「楽しみがなくなる」状態だ。
小説を読みふけり、夜更かししてしまうことは今でもある。時間を忘れて小説に没頭していることもある。
その瞬間、ドーパミンは出ていると思う。であれば、それと対になっている『苦痛』や『虚無』にも苛まれていることになる。

正直なところ、私は困った。これまで読書についての悪評は『読みすぎると目が悪くなる』ということぐらいしか聞いたことがなかった。
まさか『楽しい事』であるがゆえの副作用があるなんて。

ほっとしたのが3章の「報酬の予期(報酬に先だったドーパミン放出)と、報酬の反応(報酬がもたらされた後、あるいはその最中のドーパミン放出)は別物」、(SNSを例に)「不確実性が実際に「いいね」をもらうことよりも私たちをドキドキさせ、依存させるのではないか」という記述だった。

『報酬の予期』で私の頭に浮かんだのは、友人の子供たちにプレゼントをあげた時の反応だった。中身を見た時も喜んでくれたが、一番はしゃいだのは、プレゼントの袋を手にした時だったと思う。

読書に置き換えると、もし私が殺人の場面に高揚する嗜好をしていて、本を手に取った時に『この本にはどんな殺人の場面が描かれているのか』という期待感で一番どきどきしているのであれば「報酬の予期」とその不確実性の虜になっているかもしれないが、そういう興奮は覚えたことがない。
本を手に取った時よりも、読んでいる時の方が楽しい(私は積読もほとんどしない)。
と考えると、私が読書で得ているドーパミンは、「報酬の反応」の方ではないだろうか。

自分なりに『自分の読書趣味』の位置づけが出来たところで、さらなる疑問が湧いた。
筆者も「小さな頃からずっと読書家だった」という。読書趣味を趣味のままにしておくには、依存症にしないためにはどうすればいいのだろうか。
ふっと頭を過ぎった方法は、『自立とは依存先を増やすこと』という言葉だった。(この言葉を見かけたのは別の本だったが、今調べてみたところ、熊谷晋一郎氏の言葉らしい)。
メンタルヘルスの本でも、趣味は複数持って置いた方がいいと書かれているのを目にする。
私は、自分が楽しめるものを見つける。自分が楽しめるものを楽しむ。そしてどれもほどほどに、で生きたいと思う。
(追いかける楽しさもあるので、”ほどほど”に抑えるのが難しいというのはあるけれど)。
順番が前後するが、5章で「どんな物質、どんな行動にも依存症になる可能性はあり、そのリスクは得られる効果が強ければ強いほど、量や接続時間が増えれば増える程上がる」とも述べられているので、趣味を複数持って量や接続時間を減らすのも、あながちズレてもいないと思う。

もう一つの方法が、4章で言及されている「ドーパミン断ち」であり、「マインドフルネス」「自分自身の考えから気を逸らさないこと」だった。特に8章の「徹底的な正直さ」は読んでいて一番印象的だった。
「人は自然に嘘をつく」けれど「徹底的な正直さー大きなことでも小さなことでも真実を言う、特に自分の悪癖が顕となり、深刻な結果を伴う時にこそ真実を言うこと」。
言及されているAAの12ステップについても検索した。(12ステップのプログラム - Wikipedia

4 恐れずに自分自身のモラルを深掘りし、その一覧(inventory)を作った。

8 私が迷惑をかけた人々のリストを作り、彼ら全員に償いをすることをいとわなく(willing)なった。

これを実行するには、強い心が必要だと思った。筆者が述べているとおり、「書き出すのは苦痛な作業」だと思う。このリストを見て、私は反射的に及び腰になった。
しかし、これが「真実を見る練習」だというのも納得した、また、私も「真実を見られるようになりたい」と思った。

「自分にも他人にも本当の話ができたとき、ああ、これでいいのだ、これが公平なのだという感覚がやって来る」
正直に自分の話ができるようになると、その瞬間から私たちはより確かで自発的で自由な存在になっていく
という。

この本の筆者でも、「正直であろうと毎日格闘している」のだから、私にはものすごく高いハードルだと思うが、幸い時間はある。
自省しすぎてメンタルを悪化させては元も子もないので、気を付けながらではあるが、格闘する時間はたっぷりとある。

まずは
「朝起きて、「今日は何についても絶対に嘘をつかない」と決めればいいだけ」
から実践してみたいと思った。

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