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【かえでの性教育vol.2】「下ネタ」は、いつ、どんな時に、セクハラになり得るのか

ドイツからイギリスへ飛んでるなう。
私は基本的に数字と地理的な能力が壊滅的なんだけど、こないだ初めて、ドイツの方がフランスより上にあるということを知った。
えーうっそまじ?
だからイギリスからドイツってくそ近いのか。

南ドイツのカールスルーエという空港からロンドンのスタンステッド空港まで、1時間15分。
えまってもうこれさ、歩いた方が早いんじゃね?
うん、やってみ?多分ニュースになる。おバカニュースねもちろん。

下ネタ、好きだお

下ネタ、好きですかと聞かれれば、私はこう答える。
「はい、大好きです」

小学生男子系のあははうんち〜みたいなのも好きだし、
性行為についてあーでもないこーでもないと、お互いの好みを議論するのも大好き。
あー、こういう制服好きだよ、とかね。まぁなんだ、単純に言えばフェチの紹介である。

お笑いの下ネタとかも、すごい好き。
一番好きなのなんだろう。
大久保さんとか好きだよね。いいよね。
すごい、経験に基づいた、説得力のある話なので好き。
あとは、ジェラードンの西本が、同人誌的なエロ漫画が好きすぎて、自分でも書くようになったみたいな話があって、それは本当に笑った。
あ、youtubeにあるのでよかったらどうぞ。
(ただ結構どぎついので、そういうのあんまり見たくない人は、見ないでね。見たい人だけ、「ニューヨーク ジェラードン エロ漫画」で検索)

あとね、タモリ倶楽部的な下ネタも好き。
わかるかなぁ、あの感じ。
いや、別にあのお尻フリフリが好きなのではなく。まぁあれも可愛いなと思うけれども。
なんか、ガチなんだよね、ガチ。
まぁタモリ倶楽部愛についてはこちらで存分に語っているのでこちらどうぞ。

ガチ=愛。
本当にエロを愛している。だからこそ、真剣。女性の身体への、信じられないほどのリスペクト。
そうそうこれ、リスペクトなのよ。
(ただ、口ではリスペクトしてる!って豪語してても、実際やってることが全然リスペクトじゃないパターン結構あるのでそこは注意。)

結局、ぜーんぶここにつながってくる。リスペクト。
お互いが人間であることを認めることによる、最低限の尊重。
人権問題と、根源は一緒。
だって全部、結局は、権利の話。でしょ?
(権利っていうと、なんか契約書?サインするやつ?裁判?権利権利ってなる人うるさいよね?みたいな感じに言う人がいるんだけど、それって本当に日本の人権教育がめちゃくちゃ遅れている証拠。その人たちは悪くない。教育。)

下ネタとは?

でもさ、じゃあ下ネタってなんなのっていう話になる。
下ネタの定義。そう、どんな学術論文も、まずテーマにするものの定義づけから始めるよ。はいこれ基本。そうじゃないと、私が考える下ネタ、あなたが考える下ネタ、全然違うかもしれないからね。
そこらへんのズレを無くしてから、議論に入ります。

ふーん。なるほど。確かに。
「笑いを誘う排泄・性的な話題のこと」か。
下ネタで一本うぃき書いてる人がいることに驚き。いいね。すごいね。
実は中の人、結構すごい文化人類学者だったりしてっ

落語でも結構際どい話があるのか。
なになに、実際の母と関係する話?まじで?
江戸時代のええじゃないか精神、まじで半端ないよね。
あーそうそう、この、明治維新の前と後で何がどう違うのかっていう話を、こないだ自分のお世話になっている教授と2時間くらい話して、すごい面白かったから、それもまた記事にしよう。
忘れないうちにこうやって書いとかないとっ

まぁちょっと細かくね、何が下ネタで何が違うかみたいなのを話し出すと、それこそ人によっていろいろ違うと思うので、やらないけれど。
そう、でも大事なのは、このうぃきでも言っているけど、そこなのよ。
下ネタが何か。そしてそのネタの許容範囲がどこなのか。
それは本当に、それぞれの個人によって異なる。

だから多分、下ネタをテーマに学術論文を書くのは非常に難しい。定義づけがしにくい。まぁ私が書くとしたら、どういう時代のどういう社会・文化的環境の中で、特定の行為がセクハラとされてきたのかっていう感じになるかな。

じゃあさ、例えばこんなのどうだろう。(フィクションなのでご安心を)

①会社の課長(異性)が、みんなが集まる飲み会で。
「え〜かえでちゃんってさ、どういう体位が好きなの?ほら、かえでちゃん小さいからさ、身長大きい人とそういうことする時、どんな感じなのかなってずっと思ってたんだよね」

②学術発表会にて、先輩(異性)が一言。
「えのもとちゃんスーツかわいいねぇ。ふくらはぎが締まってて、いいね」

③合コンで友達(同性)が突然。
「知ってます?かえでって、結構こう見えてグイグイ行くんですよ〜。初めての相手とか、クラブで会った人だもんね?性に積極的。ギャップですよね〜。」

どう?
多分人によって、何がアウトでセーフか、結構議論が分かれると思う。
もちろん、その特定のTPOがどういう状況かによっても、いろんな意見が出るんじゃないかなぁ。

うんうん。なるほどねぇ。
アウトだと思った人は、どこの、どういう部分がアウトなのか、考えてみてね。

それは、異性だからダメなのか。同性だったらいいのか。
不特定多数の人がいるからダメなのか。じゃあ全員知り合いだったらいいのか。知り合いとの関係性は、どれくらいのものだったらアリになるのか。

やめてくださいって、言えるかどうか

もし、似たような経験をしたことがある方、いろいろ思い出しちゃってたらごめんなさい。

ちなみに私個人のアウトの境界線は、
①その当事者・もしくは周りにいる人が、不快に感じるかどうか。
②その「不快感」を、口に出せる環境であるかどうか。

だから、私自身が下ネタを言うときは、なるべく断りを言うようにしている。「ごめんね、こういう話嫌いな人いたら言ってね」って。
あと、すごい後輩がいる場所とかでは、そういう話はしない。相当仲が良くない限り。だって、力関係があるからね。
「かえで先輩、こういうの結構話すの、嫌だったけど、先輩だし言えなかった。。」
ああ、こういうふうになってしまうの、本当に避けたいのよ。
まぁ断りを入れたらOKなのかって言われると、全然そんなことなくって。
それ以上に大事なのは、そもそもの距離感とか、お互いに深い関係性を築けているのかとか、かなぁ。

例えばさ、力関係の話になるけど、やっぱりそれを言っている人が目上の人だったら、正直難しいよね?
取引先も絡んだ会食。
私さえ我慢して、苦笑いをすれば、なんとかその場は収まる。
本当は立ち上がって、テーブルひっくり返して、こんにゃろ貴様何様のつもりじゃいあんんんんんってしたいけど、それをグッと想像のレベルに押し込めて、そいつにお酌をする。
ああ。早く家帰ってカップラーメン食おーぜ。

この積み重ねがねぇ。響く。
響くっていうのは、私自身が我慢をしている時に、もし新たに登場した後輩が、それについて声を上げるっていう場合に、もっとも響く。
「いやいや、私は我慢してきたんだから、あんたもそれくらい我慢しなさいよ」

はい。典型的な、マッチョイズム構造の内面化
こうやって、女も、次第に家父長制の中に取り込まれていく。

私はそういうのないから、大丈夫〜!!

あのね、一回話きいてもらっていい?

あなたは素晴らしく強いから、やってこれたかもしれない。
でもね、それってさ。
あなたが、たまたまそういう環境や人に、幸運にも巡り合わずこれたからじゃないかな?
または、そうやって不快な思いをしなくていいような、さまざまな構造があったんじゃないかな?
(もしくは、上記のように、無意識のうちにマッチョイズムを内面化しているために、「私はそれくらい我慢できる」っていう強がりマッチョさんになっちゃっているパターンも、ある。)

あもちろん、私自身も、こういう目に遭ってから初めて、すごく自分の加害性に向き合うようになった。やっぱり、自分の順番になってみないと、わからないことってたくさんある。
だから、別にあなたたちを責めるつもりはない。

でも。
社会にはね、あなたみたいな特権を、得られないまま生まれ、そしてずっと得られないまま死んでいく人が、たくさんいる。
そんな人たちにばかり、いろんなことの皺寄せがくる。

例えば、もし、会社でハラスメントに遭ったとしよう。
あなたには家族がいる。休職してもいいよ、退職してもいいよって、言ってくれる人がいる。
でも、もしあなたにそういう人たちがいなかったら?
ハラスメントに耐えながら、さまざまな精神的な問題を抱えながら、それでもその場所で生きなければいけないとしたら?

私自身は、本当にとてつもない愛と希望と、社会的な特権(両親の社会的地位・経済的余裕など)をもらって、この世に生を受けた。
だからこそ、そうじゃない人のために、私はその特権を使う使命があると思っている。

私のような特権を持っていない人でも、
「ああ、私には生きる価値がある」って思える、社会を作りたい。

だから、目の前でそういうことが繰り広げられていることに、気づいたら、お願いだから、何かしらのことをしてほしいんだ。
被害者に、「私、あれ見てたよ。大変だったね。話聞こうか?」って言うのもいい。
加害者に、「あれ、私的にはちょっと無いと思います」って言うのもいい。
なんでもいいのよ。
だって、もしかしたら、あなたが被害者(もしくは加害者)の立場に置かれていたかもしれないでしょ?

あはっ
ちょっと熱くなっちゃった。
家帰ったらパスタつくろーっと


痛みを知っているからこそ、他人の痛みに寄り添えるっ

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