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SUPER BEAVER

私の人生には今まで、"推し"という要素がなかった。
人に対してもモノに対しても、"好き"という感情はあったし、一定の期間は好きでいる。だが、"好き"の温度が低めなのだ。そしてすぐ飽きる。だからファンクラブに入ろうとまでは思わないし、グッズを買ったり、それについて凄く詳しくなったり、関連のものを全て追ったり、そういうことはしたことがなかった。偶然目にしたら見る、ときめく、キャーって言う。でも割とその一瞬だけ。ずっと意識しているわけでもないし、多数の好きの中に埋もれてゆく。
周りの人が推しについて熱く語ったり、誕生日を祝ったり、グッズを部屋に飾ってたりするのを見ていて、どうしてそこまで熱を持てるんだろう、、と思っていた。

でも、ちょっと羨ましかった。
いや、かなり、羨ましかった。
『推しがいないなんて、今までどうやって生きてきたの!?』と言われたときは、私が生きづらかったのは、推しがいなかったこともあるのかな。 私ちょっとドライすぎ?
などと真剣に悩んだくらいだった。
オタクや、推し活をする人たちがなにかに優れているとか、推しがいないことがなにか欠けているとは思わなかったけれど、私の場合、その人たちのその温度感をどうしても解れないことが、どこか俯瞰的に、冷めた温度で見てしまう自分がいることに気づいていることが、なにか決定的に欠けていると思えてならなかった。

ただ、理由はなんとなくわかっていた。人より少し心身の波が激しめの私にとって、何かや誰かを好きでい続けることはとても難しい。好きになると深く知りたくなる。勝手に頼り、期待する。そして、勝手に、簡単に、傷ついてしまう。そうやって心が疲弊する感覚を何度も味わっていると、いつのまにか、"好き"という感情をセーブするようになっていたのだ。そして、この先も私が"好き"に熱くなれることはないのだろう、と思っていた。

でも、2023年7月23日。 
SUPER BEAVER 都会のラクダSP〜真夏のフジQ、ラクダにっぽんいち〜

このバンドと、このライブが、そんな私の感情のセーブを完全にとっぱらい、強く私の心をつかみ、私の見ていた世界を大きく変えることになった。25歳にして初めて、"推し"というものができ、"推ししか勝たん"と熱くなる彼らの気持ちを心底理解できた瞬間だった。

これは、私の人生初の"推し"について熱く、少々熱すぎるくらいに、熱く、語った話。推しになったその瞬間からほとんど時が経っていないので、一瞬の気持ちなのではと思われるかもしれないが、その日私は、興奮しながらも冷静に、このバンドをずっと愛し続けるんだな、と。たしかにそう確信したのだ。

他人からしたら本当にかなりどうでも良くて、
でも私にとっては本当にかなり、大事なお話。



始まりは、2021年の11月。大好きな友達がある曲を教えてくれた。
SUPER BEAVERの『ひとりで生きていたならば』。

力強く、魂をそのまま音にしたような声と、あまりにもまっすぐ心に突き刺さってくる歌詞に込み上げてくるものを止めるのに必死だった。当時彼女の背負っていたものや、いろんな想いと共に聴いたということもあるかもしれない。その曲は私の心を強く掴んで、離さなかった。

それからSUPER BEAVERの曲をちょこちょこ聴くようになった。強くて、真っ直ぐで、暖かくて、熱くて、優しくて。弱い自分の心にまっすぐ入り込んで、背中を押してくれたり、大丈夫だよって肩をたたいてくれたり、いつでも本当に大事なことに気づかせてくれる。そんな音楽を作る人たちだった。私はSUPER BEAVERを"好き"になった。

それに、私にとって大好きな、大事な友達2人が、大好きなバンドだった。その2人が好きなものを好きになれたことがとても嬉しかったし、こんなにまっすぐでかっこいい音楽を作る人達とその音楽を好きでい続けたいと思った。

それでもまだ、私の中では推しという感覚はなかった。何が好きなの?誰が好きなの?と聞かれても、『うーん、いっぱいいるかなあ、広くて浅いねんなー』といつものように返していた。曲は聴いていたけど、本人たちのことは深く知る怖さが勝って、あえて知ろうとせずにいた。ライブも、誘われたら行きたいかな..くらいの感覚だった。いつもと変わらない"好き"だと思っていた。



音楽はどんどん聴きたくなって、何かとひとりで頑張っていた時期は、毎日のように聞いていた。迷ったとき、嫌なことがあって落ち込んだとき、自分のことが嫌いになったとき、上手くいかないとき。

彼らの音楽は、どんな気持ちも、"ある"ことを知っていて、寄り添って、認めて、前を向かせてくれる。それがとても新鮮だった。

でも、

強くて真っ直ぐな言葉は、ときに辛く感じてしまうこともあって、そんなふうに思う自分の弱さが嫌になって、しばらく離れた時期があった。

去年の冬。私の中で、何かが壊れた。もう無理だと思っていた。毎日もう全部終わりにしたいと思っていた。でも、本当に終わりにしようとしたとき、いろんなことに気づいた。その1つは、迷惑をかけたくない人、喜ばせたい人、感謝を伝えたい人が私にはいる ということだった。それができるように、"自分を本気で助けなきゃいけない"と思った。


すると、その頃からまた、少しずつ彼らの音楽が聴けるようになった。彼らの真っ直ぐな言葉が、少しずつ 少しずつ硬い殻を破って入ってくる感覚。岩のように重かった心と身体も、少しずつ浮上し、少しずつ元気になれた。
久々に聞いたSUPER BEAVERは変わらず強くて優しくてかっこよくて、あぁ、大好きだなと思った。気づくと"好き"の温度が少し上がっていた。

少しずつ元気になってきた頃、"自分を助ける方法"をいろいろ考えていたとき、友だちが会話の中で言っていた『MC聴きたくて、ライブ行きたくなる』という話を聞いて、たしかに生の言葉は違うんだろうなぁ、と思った。誘われたライブにしか行ったことのなかった私は、慣れないことしてみるのも、方法としてありかなと思い、自分でチケット買って、ライブに行ってみることにした。誰の?と考えたとき、SUPER BEAVERの歌と音と声と言葉、生で聴きたい!!!!! と、強くおもったので、自分を助ける方法の一つとして、SUPER BEAVERのライブに行くことにした。

自分で好きな人のライブのチケットを買って行くのは初めてのことだったから、多くの人が当たり前のように、簡単にやってることだとしても、自分にとってはものすごく大きなことのように感じていた。

何度もやっぱりやめよかなを繰り返した後、4月21日(日付なんてどうでもいいがどうでも良くないのだ)、
7月23日のライブのチケットを買った。ほとんど、勢いだった。

その時は、ほとんど何も知らず、なんの前情報もなしに、3ヶ月後なら行けるくらいには元気だろうという理由だけでその日のライブを選んだ。SUPER BEAVERにとって記念すべき過去最大の野外単独ライブだったことは、後で知った。

自分でライブに行こうと決め、チケットを買ったのは、初めてだった。3ヶ月、なんだかドギマギしていた。本当に行けるのかと不安にもなった。良くなったとはいえ、心身の波は相変わらず。勢いで買ったからファンの友達二人は無理で、一緒に行く人も決まっていなかった。取った当時は働いてもおらず、この先の不安も相まって、かなりドギマギしていた。


ドギマギしながらも、自分で行くと決めたのだからと、好きへのセーブを少しずつ取っ払っていくことにした。

ライブに向けてたくさん曲を聴いて、4人のことも少しづつ知っていくと、自分の中のSUPER BEAVERに対する温度がどんどん上がっていくのを感じた。"好き"って大きくなると、こんなに嬉しくて、涙がこみ上げるような感情になるんだ。私にもこんな感情あったんだと、とても嬉しくなった。



一緒に行く人は、SUPER BEAVERの曲を送りたい人が良かった。

SUPER BAVERの曲は、恋愛に限らない愛の歌や、大切な人に送りたい言葉が詰まった曲が多くて、聞くと、いつも大好きな人達の顔が浮かぶ。本当にはなかなか送れなかったけど、聞くと浮かぶ顔、大事な友達のひとりを誘って、一緒に行ってくれることになった。すごく、嬉しかった。

ライブの1週間前くらいからは、最早曲のイントロを聞くだけで込み上げてくるものがあって、ソワソワし、浮かれ始めていた。浮かれついでに、初めてブリーチをして、髪をオレンジにして(密かにずっとやってみたかった髪型だった)仕事先の子どもたちと家族を大いにざわつかせた。仕事で軽くトラブルが起こり、直前に思わぬ気持ちのダウンは止められなかったが、ライブのことを考えればすぐに持ち直すことができた。

そして、いよいよライブの日がやってきた。

(続)


2023年7月25日の記録







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