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ぐち

こんにちは

寂しいから独り言です。

あ、ぐちかな。

とにかく、何も隠さず誤魔化さずオブラートもへったくれもない、今私の中で渦巻く言葉です。

最近、適応障害になって、お仕事をやめました。

体おかしくて、急に全身が痛くなったりだるくなったりして動けません。お腹、頭も、急に痛くなります。
何をする気もおきなくて、部屋にずっといます。

自分で閉じたくせに人に忘れ去られてしまいそうで怖くなって、こんなことをこんなところに投げています。

お気づきの通り、心も結構やばいです。

だけどこういうことは初めてじゃないんです。

小学生の頃から徐々に、原因不明の頭痛がずっとしていたり、朝起きあがれなくなったり、体が痛くなったり、お腹が痛くなったり。いろんな不調が現れるようになりました。中3の頃から学校に通えない日が少しづつ出てきて、保健室に行く回数が増え、高校に入ると半不登校になるまであっという間でした。高校はちなみに2ついきました。高2までひとつ。高3は別のとこ。どっちもろくに通えてません。つまり、親に来るまで連れてってもらったりしたからなんとか表面上大学まで出てますけど、学生時代、中除いてみたらめっちゃボロボロです。

心はいつも不安でいっぱいで、誰かといて、笑っている瞬間でさえ、怖くてしかたがなかった。自分という存在の不安定さ、不確かさに、いつも怯えていました。

ここ10年くらいは、もう毎年不調の波ががやって来ます。
心も身体も、病院等いろいろ行き、検査もいろいろ。一週間検査のためだけに入院したり。なんか、いろいろしましたけど、特に何か突破口になるものはつかめませんでした。

普通に生きられない私に、サボってるんじゃないか、なんでいつもそうなんだっていろんな言葉態度ぶつけられました。高校にいけなくなって、苦しんでいたとき、あるクラスメイトにニヤニヤしながら、お前家で勉強してるんだろ、ずるいな。みたいなことを言われたことがあって。本人はなんの悪気もなかったんだろうけど、私はなんだかものすごく腹が立って、ムカついてぶん殴りたくなった。でもそいつよりも自分自身が情けなかった。そんなやつの前でも堂々としていられない自分が本当に情けなかった。

周りになかなか理解を得られなかった私は、だけど自分でも、なんでこんなにだめなんだろうと心の底から自分が嫌だった私は、"前向きに治す努力"より、"行き場のない怒りを家族にぶつける"という方向へ走ってしまい、毎日のように暴れたりしていたこともありました。最低。だけどとにかく喚くことしかできなかった私にはずっと居場所がなかったから。家族もクラスメイトも先生も何もかもが敵に見えて、そして何より誰より自分自身すらも敵で。家にも学校にもどこにも、私が心安らげる場所はなかったんです。

そんな荒れ狂ってた時期を経て、なんとか母は、理解しようと務めてくれるようになりました。私よりいろんなこと調べていろんな病院連れてってくれたりして。めちゃめちゃすげえ親だと思いました。こんな扱いづらい、ダメ人間を娘に持ってしまって大変だろうに、じゃあ頑張らなきゃって。思いました。
こんなに頑張ってくれているのだから早くちゃんと生活できるようにならなきゃ。と思うようになっていきました。

だけど、そう思えば思うほど、自分の首を絞めていきました。頑張っても、頑張っても、親に迷惑ばっかりかけてしまう。ごめんなさいと言うたびに、ありがとうというたびに、心が削れてく感覚。

いろんな言葉にずたずたにされた心を更に自分でずたずたにして、ありがとうごめんすらもすり減らす。

心なんていらない。ロボットになりたい。そうすれば余計なこと考えず、身体もしんどくならず、働いて働いてお金稼いで家族に返して、とっとと壊れて捨てられたい。

ここ数年本気で思ってること。

私がほしいのは理解じゃなかった。普通の生活を送る手助けでもなかった。叱咤激励でも、その場しのぎの励ましでもなかった。

つらい苦しい痛いと泣いているときに、ただその気持ちに寄り添ってほしかっただけだった。ばかみたい。そう言えばよかったのに。

でも、理解してもらおうと頑張るより、心を閉じるほうが楽だということに気づいてしまった。誰と一緒にいたって、心を通わせることなんてどうせできないし、私他のみんなみたいにすごくないから、つり合った会話もできない。そう気づいて、どんどんどんどん心を閉じるようになりました。

好きな人ができると(恋に限らず)、とにかく嫌われない努力をしました。まあでもだから関係も続かなくて。私が悪いんだろうなあ。変だし、ちゃんと生きられないし、メンヘラだし、体すぐ壊すし。
そう言い聞かせ、だから
不調の波が来た日には、普通にやべえのにもっとやべえ自分になるって、人との関係を切って切って、傷つかないように、嫌われないように、だめな人間だとバレないように。そうしてきました。

心身ともにどんどん弱くなって、気づけば10年くらい。私は何でもない。なんでもないくせに、弱すぎるからみんなみたいに頑張れないんだ。もっと強くならなきゃ、ちゃんと恥ずかしくない子にならなきゃ。いい子でいなきゃ。役に立たなきゃ。いろんな思いに必死にすがりながら、自分を責めながら、けつ叩きながら、生きてきました。

今回また、もう何度目かわからないその波が来て、今度は結構大きくて。
もうだめかもって思っています。

私には、つらいとき思い出して笑えるような思い出がとくにありません。つらいことばっかり覚えているから。誰かと笑ってたときも、たぶん心は不安に支配されてそこになかったから。

私には、24年生きてきて誇れることが何一つありません。頑張ったって頑張ったって何かを手に入れることができるまえに身体と心が崩れてしまったからです。

私は、自分のことが大嫌いで、信じることができません。生きてるだけで迷惑しかかけない、存在だからです。

とはいえ、こんな私でも、あ、大丈夫かも!!ってタイミングがあったり、したから、10年ずーーーっとしんどかったわけじゃないんです。何度かあった大丈夫かも、のタイミングで、思っきし上っ面な綺麗事な自分を作って飾って内心ガタガタ震えながら、そういう自分を蔑みながら、上っ面を見せていました。
けど、でもやっぱり、そんなメッキすぐ剥がれるし。剝がれて剝がれて醜い自分が現れるんです。

またか。未だにここに戻ってくるのか。やっぱりだめなのか私は。って、何回目だよおいって。すごくすごく腹がたちます。自分が嫌いで嫌いで。何ももってないくせに何もできなくて毎日泥のように暮らして。気付けばこの世からいなくなる方法考えて、それが精神安定剤になって。

この文章で、伝えたいことなんて何もありません。何かを伝えられるほど、できた人間ではありません。こんなめちゃくちゃな言葉たち。
体の弱さのせいにして、心の弱さのせいにして、何も手にせず、周りに迷惑だけかけて失望させて、生きてきた24年。

「まだ若いから、あせらなくてもだいじょうぶだよ!」
お願いだから黙ってほしい。ばかみたいに苦しんだ十数年がなかったことにされるみたいな気がするから。

大変とか、苦労とか、そういう意味で言えば計り知れない人生を送ってきた人たちがたくさんいることは分かっています。遥かに長い人生を送ってきた方々。想像を超える経験をたくさんしてきた人たち。その人たちが努力して努力して、自ら望む人生を手に入れた人たちがいることも、今も苦難の渦中にいて苦しみながらもがいて必死に生きている人がいることも。

でも私は、だから私ももっと頑張れる!なんてもう思えない。

最近よく見かける、頑張らなくていい
とか
もう十分頑張ってるよ
とか
休むのも大事
とか。
生きてるだけで、充分だよ
とか。
それは誰に向けた言葉ですか?
仕事もしないで誰の役にも立たないで部屋に引きこもってる人に向けた言葉ではないよね。
そういう人にあなたはなんて言葉をかけますか?


はあ〜ぁ、もうつかれた!!!!!


という、ぐちです。


2022年12月15日の記録


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