テクノロジー保守主義者にご注意を

社会の問題はテクノロジーでしか解決できないと説いて回る、ビル・ゲイツや落合陽一みたいな人たちのことを、僕はテクノロジー保守主義者と呼んでいる。彼らの発想は、保守層にウケがいい。

そりゃあそうだ。空気中からco2を取り除いてくれるテクノロジーが開発されれば、これまでの仕組みを変えずに済む。

それに、テクノロジー決定論的な発想は、科学信仰や機械論といったトレンドともうまく噛み合う。「所詮人間社会なんてテクノロジーが変わらなけりゃ何も変わらないものだよ」といった人間の本質をずばりと射抜いたような見かけは、中二病患者にもウケる。

一見すると進歩的だが、発想そのものは極めて保守的だ。

実際のところ、この30年ほど、テクノロジーの発展は停滞したし、テクノロジー保守主義者たちが約束するサスティナブルな未来がこれから訪れるようには思えない。

もし本当に、空気中のCO2を好き放題取り去れる装置や、100パーセント自動化された農場、家中を勝手に掃除してくれるロボット(ルンバみたいな期待はずれではない)、大工の仕事を取って代わるロボットのような革命的なテクノロジーが次々発明されているなら、輝かしい未来が待っているのかもしれないと期待できる。

しかし、残念ながら現代のテクノロジーの発展は期待はずれとしか言いようがない。ディープラーニングやら量子コンピューターやらブロックチェーンやらクリスパーCAS9やらそんなのだ。ぶっちゃけ、しょぼい(量子コンピューターと洗濯機と、どちらが偉大な発明だろうか?)。

ならば本当に理想的な社会とやらを実現するなら、テクノロジー保守主義者の言うことを聞いている場合ではない。

僕はもっとラディカルな解決策を好む。例えば、ゲノム編集作物を育てたり、AIで農業を管理するのではなくて、自然農で地産地消と自給自足を目指すようなやり方だ。

あるいは電気自動車を作るのではなく、自動車に乗るのをやめるようなやり方だ。

テクノロジーは使用するのは結構だが、テクノロジーは目的化しやすく、結局テクノロジーに振り回される結果になりかねない(だから量子コンピューターみたいなゴミが持て囃されている。計算が早いからなんなの? 一生、循環セールスマン問題でも解くつもりなの?)。

新しいテクノロジーを使用しないやり方はウケが悪い。「DX!RPA!NFT!」と鼻息荒く叫んでいる人に「それ、そもそもやる必要なくね?」と言っても聞く耳を持たないように、テクノロジーが魔法のように問題を解決してくれるはずだという期待は、僕たちを捉えて離さない。

全部やめてしまえ。テクノロジー保守主義者が言うことを信じてはいけない。テクノロジーが僕たちを解放することはほとんどない。20世紀には洗濯機や炊飯器が登場したけれど、NFTとか、ゲノム編集といったギークのオナニーで騒いでいる21世紀には期待できない(自動運転はいつまで経っても実現しないし、30年経ってもせいぜい高速を自動で走れるくらいだろう。それ、電車で良くね?)

僕たちを豊かにしないテクノロジーなんて捨ててしまえ。ラディカルに行こう。

1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!