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人類を絶滅から救う方法は、ニワシドリから学べる

パプアニューギニアにいるニワシドリの雄は、モダンアートのようなタワーを建てたり、他の鳥の鳴き声をモノマネしたり、ダンスを踊ったりするらしい。そしてその出来次第で雌からの愛を手に入れられるかどうかが決まる。

タワーも、モノマネも、ダンスも、生存のために必要なスキルとは思えない。タワーの素材を集める能力は狩のスキルにも通じるし、モノマネで危険から逃れられることもあるかもしれないし、ダンスは身体能力を測る指標になるかもしれないが、もはやこじつけと言ってもいいレベルだ。

どう見ても、これらは単なるセックスアピールに過ぎない。

セックスアピールが通用するのは、セックスアピールが通用するからだ。つまり、ラカンが言うようにニワシドリは、「他者の欲望を欲望する」というわけだ。他者が求めるものを求めるのは、人間に限った話ではなかったらしい。

美男美女がモテる理由は平均的な顔は健康である可能性が高いからと説明されることがあるが、これはどうにも胡散臭い。小顔の高身長がモテることが説明できないし、巨乳がモテることや「平安時代なら美人」という現象とも矛盾する。

人も、ニワシドリも、他者の欲望を欲望しているんけだ。進化がある程度進むと、そうなっていくのだろうか。

例えば、キリンが首を長くしたことは、他者の欲望ではなく、自分の欲求に従った結果だ。単に飯を食って生き残るために、首を長くした。かつてサバンナの隅で他の動物たちと共に、コンビニのゴミ捨て場を漁るような暮らしをしていたキリンの先祖は、努力の末に誰も手に届かないような高級ランチを手に入れた。これは生存にとって有利だし、子孫を残すためにも有利だ。

しかし、ある程度まで種が安定して生存できるレベルまで進化したとき、次は同種同士の生存競争が始まる。そうなったときにいかに異性へとアピールできるかが、子孫繁栄にとっての鍵となる。ただし、それはあくまで種族内の競争に過ぎず、そのエネルギーの向かう方向はその環境で生き残るための行動原理とは矛盾する場合もあるわけだ。

3メートルものツノを進化させて絶滅したオオツノジカは、まさしくその過ちを犯した。種族内の生存競争に夢中になり過ぎた結果、骨粗鬆症に悩まされ、他の種との争いはおろか、まっすぐ歩くことすらおぼつかなくなった。

この角を毎年生え替わらせていたらしい。アホだなぁと言いながら僕たちもシーズン毎に服を買い替えている。

「他者の欲望を欲望する」という進化のステージに立つことは、種として懸命であるようには思えない。

人間だってそうだ。整形、ブランドバッグ、時計、高級車。資源の浪費以外の何者でもない。LVMHがある世界よりも、ない世界の方が人間は幸せになれるというのに。

見せびらかし消費が野暮だとみなされるようになった今は、コスパ見せびらかし消費や機能性見せびらかし消費へと時代は移行している。生活を楽にすることとは一切関係のないような機能性が追求され、これまた資源が浪費される(ノートパソコンの角度を少し斜めに変える台なんて、まさしく機能性見せびらかし消費だよね? あれ絶対いらんわ)。

僕は、いつの日か纏足のような奇想天外な風習が復活するのではないかと睨んでいる。みなが他者の欲望を欲望すれば、希少性は時間の経過とともにすぐに消え去り、更なる希少性を得るためにはさらなる資源の浪費が必要になる。その競争がオーバーヒートした結果が纏足だ。「流石にそれは‥」となった結果、纏足は消えたわけだが、消えない世界線も十分にあり得る。

我々人間はニワシドリを見て「ふむふむ、文化レベルが発達していて、(人間様に近くて)素晴らしい!」なんて悦に入っている場合ではない。他者の欲望を欲望することは種の絶滅の兆候であり、本来ニワシドリは反面教師とすべき対象なのだ。

絶滅したくなければ、セックスアピールに資源を浪費しないこと。そして、アピールしなくてもみんながそこそこセックスできるといいね。乱婚サイコーだ。

1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!