指が動くままに書く日記【雑記】
noteのストックもなくなり、とくにテーマもない。とはいえ125日も継続してしまった毎日更新を途絶えさせるのも気が引ける。
たまには、なんの気負いもなく、指が動くままに日記を書こうと思う。
「指が動くまま」と書いていて思い出した人物がいる。
ちぇるくんである。
※本人に聞いたが、ちぇるって読むらしい。
彼はたまに頭の中に思い付いた文章をそのまま書きつけるような日記を書く。
こういうやつだ。
まるで人間の意図を排除して腕が動くままに描き殴るようなエモーショナルなタイプの現代アートのようで、僕はなんとなく面白く感じている。
文章とは論理を組み立て、推敲し、完成したものが求められる傾向にある。しかし、設計を欠いた抽象画のような文章があってもいいのではないかと、彼の文章を読んでいて思った。
・・・が、実はそうでもないらしいということが判明した。
意外と考えてから書いているのだろうか? いや、よく読めば、考えてから「書き切る」ということなので、執筆中の作為みたいなものは排除されているのだろうか?
わからん。でも、彼の文章が新しい文章体験だと僕が感じていることは確かだ。
実は、こんな風に彼を誉めてみたのもきっかけがある。この記事である。
たしかに、僕もいい記事だと思っても、あまりそれを紹介することはない。もっとやっていってもいいかもしれない。相変わらず江草さんは面白いことを考えてくれる。
※ちなみに江草さんを褒めたたえる記事も書いているのだが、長文になりそうなので、ちょっと寝かせている。
noteって、誰かに引用されたら「あなたの記事が話題です!」と通知が来るようになっている。だから僕は、「やっべ、なんかバレるじゃん」と思ってあまりほかの人の記事を紹介しない。でも、もういっか、雑に引用して、雑に紹介してみよう。
最近は、雑に人に絡むことが増えてきた。会社をつくるとなると恥ずかしいなどとは言ってられないのだ。
さて、いつもの僕ならそろそろオチをつけようかと画策するところではあるが、無ければないで別に構わない。これは指が動くままに書いている文章なのだ。僕の指がオチを望まなければ、オチをつけなくたっていい。
本づくりは緻密な作業だ。表記ゆれのこと、改行のこと、ぶら下がりのこと、平城京ばりの区画整理が求められる。noteくらいラフにやろう。
1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!