除草剤で枯らされたのは、僕の心だった

うん。

上手いこと言ったようで、あんまり上手く言えていないタイトルだ。どうやら文才すらも枯れてしまったのかもしれない。

最近はバタバタしていて、間借りしている畑をしばらく放置していた。夏の日差しと夕立をたっぷり浴びた大地は、じゃがいもとトウモロコシを枯らしたかわりに、エノコログサとメヒシバを大繁殖させていた。

ちまちまと雑草を刈っていた僕に痺れを切らした畑の持ち主は、畝間に除草剤を撒いて枯らしてしまった。

除草剤も、農薬も、化学肥料も、僕の主義に反する。本当ならば反対したかったのだが、僕は場所を借りているという立場で、雑草を野放しにしてしまった責任がある。強く反対できる義理ではない。

撒いた除草剤はラウンドアップと呼ばれる商品だった。後から調べてみると、葉っぱから侵入して根っこまで枯らすタイプのものらしく、地面に浸透した分は有機物へと即座に分解されるらしい。

要は、除草剤によってレイチェルカーソンのいう『沈黙の春』が訪れるようなことはないとのこと。それに、作物を育てている畝にはかからないように除草剤を撒いてくれているので、理屈の上では作物に影響はないし、生態系にも大きな影響はないらしい。

それでも僕は、その日収穫したにんじんを、執拗に洗い流すことをやめられなかった。収穫して、土を落として、そのまま食べる。そんな牧歌的な農業体験は、しばらくできそうもない。

不除草、不耕起、無農薬、無肥料。そんな宗教じみた自然農のやり方は、農家にはウケが悪い。だから僕は隠れキリシタンの如く、信仰を隠していた。それが仇となったワケだ。

もっとちゃんと雑草を刈っていれば。初めから信仰告白をしていれば。後悔せずにはいられない。こうなってしまった以上、僕にはラウンドアップのHPの説明を信じて、これから雑草の処理を徹底することを心に誓うことしか、取りうる手段はない。

それでも、にんじんは美味かった。これから、秋・冬野菜を仕込んでいこうと思う。自然はきっと。やり直しのチャンスをくれる。プラネタリー・バウンタリーはまだ訪れていないはずだ。

福岡正信も川口由一も馬鹿みたいに時間をかけて失敗していたのだ。いいじゃないか、除草剤に心を枯らされたって。またそこから新しい息吹が芽生えてくるはずだ。

僕の農業人生はまだまだこれから。

1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!