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生活とは、脱税である

酒税法によると、個人で酒を作り始めると酒税が確保できなくなるから、僕たちは酒を作ってはいけないらしい。このロジックがまかり通っている理由を、「これまでそうだったから…」以外で説明することは難しい。

このロジックは、あらゆる生活行為に適用させることが可能だ。

歩くことは、タクシーを利用しないことであり、ダイエット食品を食べないことだ。ならば、歩けば税収は減る。ピザを焼くことはイタリアンレストランからの税収を減らし、掃除機をかけることは家事代行業者からの税収を減らす。

これらの生活行為と、酒を作るという行為に、ほとんど違いはないように見える。

醸造過程における衛生管理が難しいことから、酒を個人が作ることを咎める向きもあるだろう。それならば、同じく微生物による発酵作業が必要な糠漬けや味噌を手作りする場合も同様だ。

だが、糠漬け税法や味噌税法は存在しない。これが存在しないのは、なんとなく常識に反するからだ。言い換えれば、習慣だ。

このように考えてみると、生活におけるあらゆる行為は、脱税じみている。

国家からすれば、歩くよりもタクシーに乗って欲しいはずだ。それで金欠になるなら、副業という名の掛け持ちバイトでさらに働き、納税をして欲しいのだろう。あるいは、消費者金融で金を借りて、たんまりと利息を払うのもいい。GDPが増えて、いいこと尽くしだ。

(女性活躍も、副業も、要は働いて税金納めろ! そして家事せず家事代行に頼め!ってことが言いたいのだ)

どれだけ社会悪的なビジネスであろうが、「税収が増えるからOK」と見なす人も多い。だが僕は、税収を必要とする社会の方こそが、病的だと考える。極端な話、みんなが老人の面倒を自然と見る社会なら、年金も介護保険も必要ない。誰もが健康なら、健康保険も必要ない。誰も罪を犯さないなら、警察も刑務所も必要ない。誰も戦争しないなら自衛隊は必要ない。

人類は、その歴史の99%以上、そうやってきた。要は「大道廃れて仁義有り(老子)」ということだ。

税収を必要としない社会を理想とするなら(誰しもそれが理想だと思うはずだ。あり得ない!という意見を無視すれば)、ただただ生活しよう。

生活は、脱税だ。掃除も、自炊も、家庭菜園も、壊れたテレビの修理も、友達の悩みを聞くことも(心理カウンセラーからの税収を減らす)、ストリートナンパも(出会い系アプリからの税収を減らす)、全て脱税だ。言い換えれば、国家への反逆であり、革命だ。

いいね。なんだか、生きるのが楽しくなってきたよ。

1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!