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2000年後の君へ

『攻殻機動隊』の元ネタを提供したことで有名なアーサー・ケストラーは、人類の大脳は腫瘍であって、なんらかの手術で治療しなければ、遅かれ早かれ核戦争で滅ぶと主張していた。

悲観的すぎるが、一理なくもない。人類は滅亡に向かっているように見えるのは確かだ。核戦争なのか、プラネタリーバウンダリーを越えたことによってか、わからないが、今のまま順調に人類が繁栄を謳歌していくとは考えづらい。

それでも、全員が死ぬことはないだろう。人口は減っても、何らかの形で文明が存続するのではないかと思っている。

ではもし、2000年後、人類が生き延びていたとすれば、僕たちの社会をどのような目線で見るだろうか?

どんな社会の住人であっても、僕たちの考えを理解できないに違いない。僕たちがピラミッドやモアイ像を作る人たちの気持ちを理解できないように、膨大な資源を浪費して摩天楼を積み上げて、その中の冷房の効いた会議室で環境問題や労働問題について議論する僕たちのことを、奇怪な人々だと受け止めるだろう。

さながら、古代文明に生きた謎の民族だ。

そのように考えたら、なんだかロマンを感じる。もし自分が2000年後の歴史学者なら、きっと情熱を掻きたれられ、謎の民族の心理を解き明かそうとするだろう。

歴史学者は僕たちに問う。なぜ、馬鹿馬鹿しい資源の浪費を辞めなかったのか? 摩天楼を作るのを辞めることが、労働問題や環境問題を解決する手っ取り早い方法だというのに、なぜそうしなかったのか?

また、なんのために摩天楼を作るのか? 資源の浪費によって極上の幸福を味わい、人類の歴史における一瞬の打ち上げ花火を謳歌していたならともかく、なぜ富裕層も貧困層もストレスを抱えて働き詰めるために、摩天楼を作り続けていたのか?

摩天楼の中では野菜や衣服、家具が生産されているわけでもなく、面白い漫画が描かれているわけでもない。誰も読まないパワーポイントのキラキラ資料づくりや、自己啓発セミナー、マインドマップ作成‥一見すると無意味な儀式が行われている。

しかし、謎の古代民族たちは、それを無意味だとは決して認めない。仮に無意味だと指摘すれば、「ビジョン・ミッション・バリューのためだ」とか「クリエイティビティのためだ」とか「マーケティング戦略のための投資だ」とか、曖昧な言葉で反論されお茶を濁す。

なるほど。謎の古代民族たちは何らかの神を信仰しており、宗教的な儀式を行っていたのだろうか? 2000年後の歴史学者は仮説を立てるが、どうもその意見も、古代民族自身により否定される。「私たちは科学的合理性を追求しており、不合理な信仰は抱かない」と。

合理的に考えているなら、なぜ無意味な仕事に四六時中取り組んでいるのか? 歴史学者はますます混乱する。

ヒントを求めて、歴史学者は古代の書物を紐解こうとする。アダムスミスやマルクス、ケインズ、シュンペーター、ピケティなんかはまだ残存しているだろうか(僕がタイムスリップできるなら参考文献としてグレーバーの『ブルシット・ジョブ』と『負債論』をお勧めする)。

そして、歴史学者は何らかの結論を出す。「古代民族は、お金を崇め、人の命よりも大切にしていました。コンクリートのビルを建ててその中で儀式を行うことで人々はお金を獲得する資格が得られると信じていました。そして、そうすることが正しいと信じていました」といった説明が教科書に載る。

子どもたちは思うだろう。「え、バカなの?」と。

大人たちは言う。「そうだね、だから君はこんな風にバカな大人になっちゃダメだよ」。

「はーい!」と返事をして、子どもたちは青空の下へ駆け出していく。

穏やかな午後。そこは、小高い丘の上。

一度は核戦争で荒廃した世界。残された人々は手を取り合い、家を建て、水路を引き、作物を育て、本を読み、そして残された自然の中で遊び回り、幸せに暮らしていきましたとさ。

めでたしめでたし。

戦闘開始

二つの国から飛び立った飛行機は
同時刻に敵国上へ原子爆弾を落としました

二つの国は壊滅しました
生き残った者は世界中に

二機の乗組員だけになりました

彼らがどんなにかなしく
またむつまじく暮らしたか

それは、ひょっとすると
新しい神話になるかもしれません。
石垣りん『原子童話』

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