書店の中の多様性

プロレタリア革命を心の底から願っているマルクス主義者も、資本主義の仕組みにフリーライドしてFIREを狙うビジネスマンも、街宣車を乗り回す極右も、暇つぶしに小説を読みにきたホームレスも、丁寧な暮らしを目指してヨガと発酵食品作りに夢中になる専業主婦も、呪術廻戦の最新刊を買いに来た高校生も、誰もが集う場所。

それが書店。

これだけの多様性が実現している場所を、僕は知らない。ある瞬間に1つの書店にいる人を集めてきて合コンを開いてみたら、きっと共通の話題が一切なく、お通夜のような状況に陥るのではないだろうか。

もちろん、書店にも多少のイデオロギー色は存在する。小型の店はたいていサラリーマン向けのビジネス書だらけか、学生向けの参考書だらけか、そんな感じになりがちだ。お年寄りが多いエリアなら、日本史コーナーが充実する。それに、どんな店でも特集コーナーには店長の主義主張が喧伝されている(最近はアナキスト多めなのは気のせい?)。

それでも大型店なら、全てのイデオロギーを包み込んでくれる。だから多様性が実現する。

フィルターバブルとか、エコーチェンバーとか、人間はそういう効果の影響をどっぷり受ける。知りたい情報だけ知り、意見が合う友達とだけ付き合う。だから、自分と真逆の主張と出会うことは少ない。

書店なら、ハイエクやフリードマンの著作の隣の棚に資本論が置いてあったりする。迷惑をかけないように恐る恐る立ち読みをしている新自由主義者の横に、古典的なマルクス主義者がいて「あ、すいません‥」とか言いながら通路を譲り合っているのだ。

残念ながら、2人がその場で意気投合して立ち飲み屋に流れ着き、経済談義に花を咲かすようなことはほとんどあり得ない。多様性はあっても、両者の人生が混ざり合うことはなく、ただ交わるだけの人間交差点なのだ。

多様性がどうとか、ダイバーシティがどうとか、そういう風潮は、申し訳程度に女性管理職を増やすことや、障害者を雇用することに帰結する。そして、適当にお膳立てをして「女性なのにすごいねー!かっこいいねー!」と、まるで初めてのお遣いを攻略した子どもを褒め称える嘘くさい大人のように、周りのおじさんたちは振る舞う。

男性中心という正しいイデオロギーがそこにあって、男性たちの底抜けな寛大さにより、足手まといたちにもチャンスが与えられている‥という姿勢は崩されない。

女性も障害者も、そのイデオロギーの中で生きている。

本当の多様性は、イデオロギーの対立が起きる。書店の中のように。しかし、衝突するとも限らない。新自由主義者とマルクス主義者が配慮し合って通路を分け合うように、お互いのイデオロギーに立ち入ることなく、利害を一致させることもできる。

分かり合えなくとも、配慮し合える。まぁそんなところが落とし所じゃないだろうか。

そんな可能性を感じさせてくれる書店。まだ見ぬイデオロギーが無限に存在する書店。

いいね。今日も書店に行こう。

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