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ビジネス芸人はエンタメ感を隠した究極のエンタメ

広告と資本によって、楽しいことの選択肢はソシャゲとSNSとショッピングモールにまで限られてしまった。その反面、「それを満足しておけ低脳どもよ」と言われる時代は過ぎ去り「支配階級は低俗なエンタメに毒されず、プログラミングを勉強していたのさ」というプロテスタンティズムの倫理も同時に発達してしまった。支配階級になりたきゃ、生産性のないエンタメで時間を無駄にするな‥というわけだ。

そんな時代に現れたのが、ホリエモンとか、キンコン西野とか、落合陽一とか、ひろゆきとか、最近だと成田悠輔とか、ビジネス芸人と呼ばれる人たちだ。

生産性のないエンタメとは違い、彼らの映像や本は生産性がありそうなことが主張されているように見える。「これからの時代は〜」「思考停止するな」「感情ではなく事実を〜」みたいな奴だ。

(まぁ、当たり障りのない「当たり障りのあること」を言っている。坂上忍のビジネス版みたいな感じで、みんなが思っている「俺しか気づいていない世の中のタブー」を言い当てるのが得意なわけで、誰も気づいていないタブーを言っているわけではない)

観てるとなんだか賢くなれた気分になる。世の中のバカな大人たち(もちろんそんな人物は存在しない)をズバッと切り捨てるのを共感しながらみることで「俺はこちら側の人間だ」という優越感も味わえる。そして、生産性のないエンタメに浸っているような罪悪感もなく、「俺は今、勉強しているのだ!」という正当性の感覚も味わえる。だから、受動的に正解を押し付けてくるエンタメしか咀嚼できない体に調教されたにもかかわらず、エンタメを禁止する倫理が蔓延してしまった今、エンタメ感を隠したエンタメであるビジネス芸人に飛びつかざるを得ない。

エンタメ感を隠したエンタメ。これはエンタメではないという免罪符があるからこそ思いっきり楽しめるエンタメ。これこそが究極のエンタメなのではないだろうか。

もちろん、このエンタメはかなりひねくれている。そんなひねくれたエンタメに「これは投資だ!」みたいな訳の分からない倫理観で向き合うよりも、「さぁ、時間を無駄にしてやるぜ!」という気持ちでワンピースでも読んだ方がいいのにと思うけど、まぁ他人の趣味にとやかく言うのは野暮だね。

人を馬鹿にして優越感に浸るのは楽しい。僕もそういう楽しみ方をしているわけだし、それをメタ認知しているのだという優越感にも浸っていて、『地下室の手記』の主人公みたいな自己陶酔をして楽しんでいるのさ。

なんやかんや、ビジネス芸人も、たまに良いことを言ってると思うし、ズバズバ物を言ってるのが気持ち良く感じることもある。『でんじゃらすじーさん』とか『ボボボーボ・ボーボボ』を読むような感覚で楽しめば、悪くないね。

さぁ、ビジネス芸人で時間を無駄にしよう! エンタメ最高だぜ!

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