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週1〜OK! 責任を取るだけの簡単なお仕事!

定年退職してやることがない。早期リストラにあって仕事がない。いい歳なのに雑用仕事をするのはプライドが許さない。

そんな人のセカンドキャリアとして、謝罪代行ってすごくいい仕事なんじゃないかと思う。「責任者を呼べ」とか「上司連れてこい」っていう言葉は、「若造じゃ納得できん!目の前でスーツを着たオッサンに頭を下げてもらわにゃ納得せんぞ!」という意味なのだ。つまり、オッサンが必要とされている。

オッサンが必要とされる場面は、かなり希少であることにお気づきだろうか? 新卒一括採用が象徴するように企業の採用は若ければ若いほど良いとされているし、タクシードライバーや清掃などの仕事も、オッサンくらいしかやってくれないから仕方なくオッサンを採用しているのであって、可能ならば若い人をとりたいと企業は考えている。IPO経験があるとか、医師免許を持っているとか、特定のスキルがあるオッサンは重宝されるが、同じ条件ならば若い方が採用されるのが普通だ。オッサンであればあるほど良い‥という仕事は、謝罪代行以外には思いつかない(10分考えたら1つ2つくらいは思いつきそうだが)。

それに、100歳になっても続けられると思う。ダンブルドアのような見た目のおじいちゃんが涙を流さんとするような勢いで謝ってきて、それに対して罵倒の言葉を浴びせられる人がいたなら、もはや人間とは呼べないだろう。

もちろん、謝罪代行が必要とされる社会は病的だ。しかし、この世界では本来なんの解決にもならない「謝罪」にリソースを割かなければならないほどに「責任」を追及されることが多い。

普通、「責任」とは「この問題を解決するのは自分である」という意志を指すように思うのだけれど、残念ながらそのように使用されることは少ない。「責任を取る」とは「スーツを着て頭を下げる」とか「偉い人に反省文を提出する」とか「オッサンに怒られる」という意味で使用される。もちろん、こんな茶番を繰り広げている間、問題そのものには手をつけられることはないか、あるいは既に解決済みであることの方が多い。

ならば究極的に、この茶番は無駄であり、社会からは消滅した方が好ましい。しかし、現実的にこの茶番をやらなければ納得しない人がいる限りは、無碍にするわけにもいかない。つまり、誰かがやらなければならない。とは言え、羽生結弦は謝罪しているよりもスケートをしていた方がよっぽど有意義である。ならば、これといった能力のないオッサンがその役割を引き受けた方が、羽生結弦はスケートに集中できて、全体として効率がいい。

「責任」という茶番が消え去る理想的な社会への移行期間には、オッサンによる謝罪代行が必要なのだ。むしろ、オッサンは謝罪代行という明らかに馬鹿馬鹿しい職務を完遂していくことによって、謝罪そのものの馬鹿馬鹿しさを浮き彫りにしていき、理想的な社会への移行を後押しする可能性もある。

そのような社会的意義のあるお仕事です! 週1日~OK! 社員割引もあります!

いいな。僕もやることがなくなったら、謝罪代行やってみよう。

1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!