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「AIが仕事を奪う論」が、本当に僕たちから奪っていくもの

それは仕事の尊厳であると、僕は考える。

実際のところ「AIが仕事を奪う論」は色んな意味で胡散臭いことは、あらゆる人が指摘してきたが、まだまだ根強いと感じるので、改めておさらいしておく。

時給1000円のカフェの店員が、シンクを布巾で磨き上げて、その後、棚から塩素系洗剤を取り出して、水で希釈し、布巾をつけ置きする‥このような単純極まりない作業ですら、AIを備えたロボットによって自動化される可能性は今のところほとんどない。

ましてや、同じロボットが、客席を回ってお冷を注ぎ足したり、床に落ちているゴミを見つけて拾ったり、客が割ってしまったマグカップの破片を片付けたりするには、ドラえもんのように意識を備えた汎用AI(と、人体を完璧に再現するような、現代から考えれば夢のような水準のロボット工学)が必要だろう。もちろん、現代のエンジニアや神経学者、数学者、心理学者、哲学者のトップオブトップを世界中からかき集めてきたところで、汎用AIを作るという営みが成功する見込みはない。

つまり、AIが本当の意味で仕事を自動化するなんて話は、今のところは全く見込みのない与太話に過ぎない。

それでもなお、「AIが仕事を奪う論」は語られる。しかし、その議論は不完全であると言う他ない。

「AIが仕事を奪う論」と、AIによって奪われない仕事として取り上げられる職業のリスト(アーティストやスポーツ選手、経営者、保育士、看護師など)、そしてAIによって奪われる仕事のリスト(プロ囲碁選手、会計士、銀行員)は、真に価値を生み出しているのは何なのか?という問題に対して、暗黙の前提を形成していると、僕は考える。

つまり、さっき僕が挙げた時給1000円の仕事は、眼中にないのだ。

「仕事の価値=そこから得られる収入」であると、ほぼ現代では見なされているように見える。たしかにコロナ禍では、保育士や看護師のようなエッセンシャルワーカーが持ち上げられる事態はあって、それらは価値の割に給料が低く、それでいて自動化が難しいと想定されていた。しかしこれらはあくまで例外的な存在だとみなされる。

巷に溢れる職業図鑑なるものを紐解いてみれば、そのことがよく分かる。そこにスーパーの品出しの仕事や、ガソリンスタンドで車の窓を拭くような仕事、自動販売機にコーラを補充するような仕事が紹介されている事例を見出すのは難しい。それらは子どもが目指すべき仕事ではなく、野球選手やYouTuber、パティシエ、データサイエンティストになれなかった人がやむを得なず就くような低収入かつ、社会に価値を提供しない仕事であると、暗黙のうちに見なされているのだ(教育格差の議論は、「誰しもが努力すればデータサイエンティストを目指せるようにすべき」と言っていて、同時に「努力しないなら自動販売機にコーラを補充する低賃金の仕事につくことになってもやむを得ない」と言っている)。

「AIが仕事を奪う論」に登場しないこれらの仕事が、社会に必要な仕事であることに疑いの余地はない。しかし、「AIが仕事を奪う論」は、あたかもそれらが必要ないものであるかのように扱うのだ。

落合陽一の『デジタルネイチャー』という本の中では、これからの時代は(AIやら何やらが発達していった結果)VC型(ベンチャーキャピタル型)の人間と、BI型(ベーシックインカム型)の人間に分かれていくと主張されていた。これはAI時代とやらの世論を象徴するものだと僕は感じる。彼が何を言っているのかといえば、「VC型の人々は期待や投資を集めて、様々な作業をAIやロボットによって機械化していったり、weworkやUber、Airbnbといったサービスを生み出したりしながら、社会に貢献していく一方、そういうイノベーションを起こせない人々はディズニーランドにでも行って馬鹿みたいに自撮りをインスタにあげておけばいい」みたいな話だろう。

しかし、初めに指摘したように、VC型の天才すら、時給1000円の単純作業を自動化することはできない。彼らがしたり顔でウーバーイーツを注文したとして、彼らの自宅にスターバックスラテが届くまでのあらゆる労働は決してなくならないのだ。

もちろん、VC型の人間がそれらの作業の効率化に多少、貢献することもあるだろう。例えばこの前、コンテナの効率的な積み方をAIが教えてくれる画期的なシステムが開発されたというニュースをみた。だが、あくまで教えてくれるだけだ。AIがコンテナを積んでくれるわけではない。結局、BI型と見下されるような肉体労働者が、クレーンか何かを操作してコンテナを積むのだ。

資本主義は商品がどのようなプロセスで生まれるのかを見えなくするとマルクスは指摘していた。まさしく今起きているのはそのような現象だ。要は仕事の尊厳が奪われているのだ。このような傾向は昔からあったが、「AIが仕事を奪う論」はその傾向を加速させていると、僕は思う。

あえて声を大にして言いたい。AIはゴミだと。AIよりも、洗濯機や冷蔵庫、炊飯器の方が画期的な発明だった。それらは20世紀に僕たちの暮らしを大きく変えたが、21世紀になって、僕たちは大してテクノロジーの革命を経験していない。せいぜい、改良程度のものだ。

AIにできることは的外れなおすすめ商品をごり押ししてくることや、「AIが言ってますから!」と問答無用で人々を納得させること程度だろう。要は鬱陶しいセールスマンや占い師の仕事を多少奪っているが、それ以外の仕事は大して奪わない。

僕たちはこれからもコーラを自販機に詰めなければならない。そのことを直視せずして、社会について有意義なことは何も語れない。



※これは膨らませば本にできそうなテーマなので、ちょっと整理して書いてみた。本、頑張って書くぞー。

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