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覚えろハラスメント(略しておぼハラ)という言葉をみんな使ってくれ

最近、僕は道を覚えなければならない仕事についているのだが、あいにく僕は記憶力がすこぶる悪く、「ここのコンビニを左」などと言われてもどうせ覚えられない。だから、せっせとGoogleマップにポイントを登録している。そして、初心者のうちは参照しながら進み、そのうちGoogleマップなしでも運転できるようになっていくだろう‥というロードマップを描いている。

が、しかし、だ。

恐らく、教えてくれる先輩とは、道の覚え方のタイプが違う。僕がGoogleマップを頭に思い描きながら、「●●通りを●●通りに着くまで、東に進んで、そこから南へ右折し‥ということですよね?」と確認すると、「地図よりも景色で覚えた方がいいよ」と言う。

相手を面と向かって否定することはしたくないけれど、否定せずにはいられない時特有の、苦々しい感情が辺りに漂っている。

もう少し強い語気で指導されれば、「景色で覚えられないから言ってるのだよ」とカウンターパンチを喰らわせたくなるだろうが、今の所は優しい語気なので、「そうですか」と渋々従う。

しかし、覚えられない。

そういえば、妻の母親の職場に、新人が入ってきたらしい。義母が言うことには、新人は一度教えたことを二度も三度も失敗するらしく、義母はそのことに苛立っているようだ。

僕はその新人の気持ちはよくわかる。覚えられないものは覚えられないのだ。一度でなんでも学習するのが人間の標準的な姿ではないことは、義務教育で歴史を学ぶだけで理解できるだろう。要するに義母はペンギンに空を飛べと言うような、無茶を言っている。

「メモを取れ」と言うのは簡単だ。しかし、指導されるタイミングは、ゆっくりメモを取れるとは限らず、手早く書き殴らざるを得ない場合もある。また、自転車の乗り方を400字詰めの原稿用紙で説明できないように、身体の動作を伴うノウハウを言語や図に変換することはほぼ不可能だ。瞬発的にそれをメモに取る概念化能力と分析力・判断力があるなら、彼は今ごろ現代のレオナルドダヴィンチになっていることだろう。

「メモを取って後から清書すればいい」と言うのも簡単だ。だが、朝から晩までメモを取った後に、一息ついてメモを見返したとき、そこに理解できる事柄などひとつも書かれていない。それに、就業後の労働を強制される謂れもない。

「俺らの時代は‥」と武勇伝を語りたければ好きにすればいい。だがここで、エジプトの壁画に「近頃の若いもんは‥」と書かれているエピソードを引用する必要はない。都合よく記憶が美化されているであろうことを差し引いても、そのサンプル数1か2の現象が再現されると期待するのは、あまりにもカルトじみていることを指摘するだけで済む。ヴィトゲンシュタインすら、明日の朝に太陽が昇ることを確信できないのだ。「お前に論理哲学論考や哲学探究を論駁できるのか?」と反論すれば、相手は顔を真っ赤にして撤退するだろう。

要するに僕が何を言いたいのかといえば、「覚えられないものは覚えられないのだから、とやかく言うな」ということだ。教えるのが上司の仕事だとすれば、教える相手が人間である以上、一度で全てを覚えることは不可能であることは明白であり、それでもなお「覚えろ」と言うのは、競馬の騎手が「新幹線よりも早く走れよこのボンクラめ」と愚痴を言うのと同じく、職務放棄なのだ。

職務放棄というだけではなく、無意味に相手の心を破壊する行為と言っていい。光速で走ることができる宇宙人に植民地支配されたときに「光速で走れ、さもなくばクズだ」と言われたときの気持ちを考えてみよう。そういう気持ちを相手に味わせるのは、これはもうハラスメントではないだろうか。

覚えろハラスメント。略して「おぼハラ」。

言葉の響きがピンとこないことは、重々承知している。だが、使っているうちにきっとしっくりくるのではないかと思う(「おぼ」という響きには小保方さんの印象が無いではないが、もう時効ということでいいだろう)。

おぼハラという言葉は、これまで言語化できなかった苦しみを言語化し、苦しみを和らげるだけではなく、使われれば使われるだけ、おぼハラを抑止する効力を発揮していく。「こんなこと言ったらおぼハラと言われるかもしれないけれど‥」と、予防線を張る中間管理職は必ず現れるだろうが、これは「こんなことをすれば殺人罪だと言われるかもしれないけれど」と言ったところで殺人の罪が許されないように、なんの効力もない。「殺人予告」ならぬ「ハラスメント予告」だ。当たり前だが、「殺人予告をした彼には情状酌量の余地がある」と弁護する弁護士はいない。

何でもかんでもハラスメントと呼ぶ風潮を「ハラスメント・ハラスメント」と呼ぶが、ここまで丁寧に論考してきたのだから、僕が「ハラスメント・ハラスメント」呼ばわりされる筋合いはない。もしそうしたいなら、論駁して欲しい。

というわけで、みんな使ってね!! 正直、ネットミーム化するポテンシャルのある言葉だと思うので、よろしくたのんます!

1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!