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2023年もお世話になりました

そういえばこれ、あったなぁ。

noteにどれだけ時間を費やしたかを数字でまざまざと見せつけられるこの統計。せっかくnoteさんがまとめてくれるので、取り上げてみたい。

※統計の存在には、伊藤さんの記事で気づいた。最近「いいね」つけてくれないから僕のことに興味なくなったのかと思っていたが、記事の中ではしっかり僕を褒めてくれていたので、今少し照れている(読者諸君はしっかり目を通しておくように)。

さて、それでは僕のデータをみていこうか。

まずはよく読まれた記事から。

さて、いきなり不可解な現象が起きる。1位の記事は2年前のものだし、今のところまだ1件のいいねもついていない。それなのに、なぜかビュー数1位らしい。誰かがF5アタックでもやってるのだろうか?

※まぁまぁいいこと書いてるけどね。

2位と3位はまぁ納得できる。Googleの検索ワードに引っかかって流入しているのだろう。普段SEOなど微塵も気にすることなく書いているので、たまたまSEO的にヒットする記事を書いたときに無駄にアクセスが伸びてしまう。

個人的にSEO対策に力を入れすぎている記事には、合コンマニュアル通りにサラダを取り分ける女子に出会ったときと同じような違和感を覚える。

例えば僕はこの前ベーシックインカムについての1.7万文字にわたる考察を書いた。

だが、僕はその記事に「ベーシックインカムとは?:ベーシックインカムとは収入にかかわらず全国民に対して同額のお金を直接配る制度です」みたいなことを書かなかった。そもそもベーシックインカムに興味がある人なら、その程度の前提知識は持っていると判断したからである。

しかし、詳しいことは知らないが、SEO的にはこういうことを書くべきなんだろう。事実、なにかを検索して上位に出てくるサイトには、そういう基本情報が大体盛り込まれている。が、その結果、「それはもう知ってるから続きを教えてくれよ」とイライラさせられて、上から下まで別のページと全く同じ内容を読まされて終わるという腹立たしい経験で、Googleの検索結果が埋め尽くされるようになった。

これがGoogleの望んだ世界なのだとすれば、なにが「世界中の情報を整理する」だよと言いたい。これじゃ世界中の情報をシャットアウトしているに等しい。

脱線が過ぎたので本題に戻ろう。次は創作の記録を。

281本とはなかなか書いている。1年の8割近くは執筆している計算だ。たぶん平均すれば1記事2000文字はあるだろうから、年間で60万文字くらいは書いていることになる。そう考えれば大したことはない。たぶん『負債論』とか、もっと文字数多いんじゃないだろうか。

フォロワー数は結構増えている。というか、今のフォロワー数が400人弱なので、半分くらいは今年に増えていることになる。

まぁ実際、今年はよくネットで活動した。本は2冊出したし、曲も出したし、ヨカ教やアンチワーク哲学といったプロジェクトもスタートした。YouTubeもやった。

この手の数字は終わりがない。400フォロワーに達すればきっと次は500に行きたくなるのだろう。永遠に続ければいつか日本人全員にアクセスできるだろうか。

その話は置いておいて、最後のトピックを見てみよう。よく読んだクリエイターである。

毎日更新という地獄のレースに鈍器のような文章量(それでいて切れ味は鋭利)で挑む狂気の医師、江草さんが一位。江草さんの記事はいつも独自の視点から書かれていて攻撃力も高く、かつ批判のしようがない論理構造と説得力という防御力もあり、それでいて更新頻度も高い。走攻守揃った書き手だと常々感じている。それでいてほどよくほのぼの日常回も挟まれていて、胸焼けしない。見習いたいものだ。

2位は伊藤さん。今年の伊藤さんの生活は恐らくnoteに開示されているが、それでいて謎めいている。「最近は不倫相手の遠藤ちゃんの話ばっかだけど、あれだけ熱を注いでいた村山さんはどうなったんだ?」とか「ルームシェア解消早すぎない?」とか、謎が多いのである。というか、どうしてこんなに面白エピソードが出てくるのか気になる。きっと「面白い方へ」という生活哲学を追求し続けているからなのだろうが、僕のような出不精は見習いたいものだ。

3位の世界の普通からさんは、上位の2人ほどの更新頻度はないものの、過去記事を掘ったことからこの順位。世界さんは海外経験が長いこともあって、いろんな思い込みや偏見を相対化した独自の考察を読ませてくれることが多い。「なんでそんなこと知ってるの?」とか「なんでそんなこと考えつくの?」と驚かせてもらうことが多い。

さて、noteのクリエイターたちの様子は諸行無常である。毎日更新していた人がぱったりと消えることも珍しくない。だが、この上位の方々は長く継続してくれている。市場原理とは全く関係のないモチベーションで文章を量産してくれる人々の存在が、どれだけ貴重か思い知らされる。一方で、いつでもぱったりとやめられるという状況だからこそ、長く継続する人々の文章にも価値が生まれているのだと感じる。やはり義務感から解放されたときに人は輝くものだろう。

僕もまた、いつでも辞められる状況にありながら、長く文章を書いてきた。いつまで続くだろうか。わからないけれど、死ぬまで新陳代謝を繰り返すように、なんらかの形で文章は書き続けると思う。

2024年も、よろしくお願いします。

1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!