有機農業や不耕起農業が流行らないのはなぜか?

失敗ではない。うまくいかない1万通りの方法を発見したのだ

この、能天気なエジソンの言葉を鵜呑みにする農家はいない。なぜなら農家にとって1回の失敗とは1年間という時間をドブに捨てる行為であり、それは自分と家族が路頭に迷うことを意味する。そんな目に見えたリスクを誰が冒すだろうか?

ならば、たとえそれが環境に悪く、余計な手間がかかるとしても、そこそこの成果が保証されている化学肥料&農薬というアヘンに依存するのは避けがたい。

そして、農協や肥料メーカーは、化学肥料と農薬を売って儲けなければならないため、「有機農業や不耕起農業なんかやめときなはれ」と言う。負のスパイラルだ(これがいきすぎてインドの綿農家はブチギレているようだ)。

農業の素人であり、オーガニックでスピリチュアルな僕は、有機農業や不耕起農業に夢を見ることをやめられない。「農業の現実を知らんから、有機農業とか甘っちょろいことを言えるのだ…」というくたびれた農家の声を聞き流したい衝動から逃れられない。だから一度やってみようかなぁと思っているのだ。

紆余曲折あって、耕作放棄地予備軍の一角を借りれそうになった。この経緯はまた別のnoteに書こうと思うが、とにかく耕作放棄地寸前の農地をほぼ自由にしていいことになっている。

どうせ耕作放棄する土地だし、僕は専業農家ではないのだから、1年間不作でも問題ない。逆に言えば、そういう場所でしか、こういうオルタナティブ農業はチャレンジできないのだ。

そう考えれば、次々に専業農家が店じまいしている今はチャンスなのかもしれない。居抜き農地を譲り受けて、僕みたいに物見遊山で農業にちょっかいをかける人が増えていけば、オルタナティブ農業は加速していくのではないだろうか。

「世界最悪の発明品は鋤」とデヴィッド・モントゴメリーは言っていたっけ。どう考えても、耕すことなく、農薬や肥料をまくことなく、収穫できる方がいいに決まっている。

なんせ窒素とリンとカリで合成された野菜はまずいのだ。美味しくて複雑な味がする野菜を食いたいよ。

で、地産地消で、自給自足。そのうち産業資本主義をサクッと安楽死させられるといいね。僕が神と崇めるベーシック・インカムがあれば、専業農家もオルタナティブ農業にチャレンジしやすくなるし、資本主義も安楽死していくだろうけど、まぁいろんな角度からアプローチするのがいいだろうね。

てなわけで、有機農業と不耕起農業を流行らせられるのは、僕なのかもしれないね。

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