ブルシットジョブの作り方
会社で、僕が応募者の書類選考をすることになったとき。上司からこのように指示があった。
僕の頭にはクエスチョンマークが浮かんだ。なぜ、わざわざ事務員さんがやる必要があるのか?
どうせ後から僕と面接のスケジュールを調整しなければならないし、基準を伝えても悩むケースが出てくるに決まっているのだから、初めから僕がメールでやり取りをすればいいのではないだろうか?
と、結局僕がやることになった。
恐らく上司の考えはこうだ。男である僕は高度な業務に取り組んでいて、メールの返信などという単純作業は女性の事務員に任せればいい‥と。
この考えは3つの意味で間違っている。
1つ、僕は大して高度な業務をしていない。
2つ、メールの返信なんてものの数分で終わるのだから、大した負担にはならない。
3つ、どうせ事務員さんと相談する時間をとられるのなら僕の負担を軽減することにはならず、1人でメールをやり取りするのと比較して僕と事務員さんで合わせて1.5倍〜2倍のマンパワーを割くことになる。
人がいればいるだけ仕事が増えると、「パーキンソンの法則」は教えてくれる。コミュニケーションコストが嵩むからだ。
そのリスクを冒してでも、上司は分業しようとしていた。なぜだろうか?
恐らく、単純作業を押し付けるという思考回路が習慣化しているのではないだろうか。
上司というのは本質的にブルシットジョブだ。自分の権威を誇示することがその仕事の最重要課題なのだから。「自分には取り組むべき高度なミッションがある」という幻想と「自分にはマネジメントを必要とする部下がいる」という幻想を維持するために、単純作業を誰かに押し付ける行為は都合が良い。
その単純作業押し付け行為が習慣化した結果、僕がその行為に手を染めることが当然であるかのような話しぶりに帰結したのだろう。
ここで僕が上司の指示に従っていれば、また新たなブルシットジョブが誕生したはずだ。
運良く僕はアナキストだったので、権力の分前に預かることにはなんの興味もなかった。だから、上司の意見を否定できた。
権力というのはフィクションの世界では完膚なきまでに否定されているというのに、現実世界では相変わらず幅を利かしている。
それがフィクションがフィクションたる所以と言われればそれまでだが、これだけワンピースに夢中にさせられるのだから、人は脱権力を求める根源的な欲求があるのではないかと勘繰らざるを得ない。
話が逸れてきた。ブルシットジョブの話だった。
ともかくブルシットジョブを増やそうと思うならば、権限を与えることなく、単純作業に終始させ、報連相を徹底させればいい。要はサボタージュマニュアルみたいなやり方だ。
組織を破壊したいなら、こんなやり方だね。うん。
1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!