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株価を毎日チェックするより、野菜の状態を毎日チェックする方が楽しいし、確実な投資

株をいくらか持っている僕だけれども、最近は値下がりしまくっていてどうにもいい気分になれない。仮想通貨も同様だ。プーチンの気分によって左右される折れ線グラフは、僕にはどうにもできないわけだし、あれこれ考えるのは馬鹿らしい。それに、よっぽどうまくいってもせいぜい2倍程度にしか増えないわけだ。もっと増やすことはできるけれど、あんまり現実的ではない。

だったら、もうチェックするのをやめようかと思う。どうせ日に何度もチェックするなら野菜の方が、よっぽど実りのある投資なのではないだろうかと気づいたからだ。

小さなタネが、たった数ヶ月で数倍に増える。失敗すればゼロになるわけだが、それは株も仮想通貨も同じだ。しかし、野菜づくりの失敗は次に活かせるし、経験を積むほど投資の成功率も上がってくる。それに、自然農なら土や生態系が育っていき、肥料や農薬といった投入コストはほぼゼロになるわけだし。

一方、ケインズの言う美人コンテストのような馬鹿馬鹿しさを孕む株や仮想通貨は、経済学者よりチンパンジーがダーツを投げた方がよく当たるなんて揶揄される様相なわけだ。何の蓄積もないギャンブルだ。

(ケインズの美人コンテストという比喩は、しょっちゅう引用される割にあまりピンとこないと思ってるのは僕だけだろうか?)

みんな金がなくなったときの心配はよくする。しかし、金があっても財やサービスを提供してくれる人がいなくなったときのことは誰も心配しない。サンジが言うように、金は腹の足しにはならないわけだ。ならばどんな時代がきても、庭先の小さなスペースや耕作放棄地で食べ物を生産できる能力を磨いていることの方が、将来の安心につながると思うのは僕だけだろうか? みんなに配れるだけの食糧が作れれば、周囲の人たちとの協力関係も築きやすくなるわけだし。

これは国家規模の心配事でも同様だ。水道工事業者に払う税金が枯渇することを心配する人はたくさんいても、水道工事をする人そのものが消えてしまうことはあまり心配されない。「誰が税金を払うのだ?」よりも「必要な仕事を誰がやるのだ?」の方が重要だと思うのは僕だけだろうか?

金じゃ安心は買えない。金を手に入れれば今度はそれを守るために右往左往しなければならず、不安ごとばかりが増えていく。金のことを考えるのは全く嫌になるね。

というわけで、畑で野菜を作るのと同時に、家の周りでも可能な限り作物を育てることにする。いい春だ。

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