それはセックスの差か? ジェンダーの差か?

一般的にプラレールは男の子のおもちゃで、シルバニアファミリーは女の子のおもちゃとされる。これは、純粋なセックスの差に基づく区別なのだろうか?

つまり、どのような文化圏の子どもであっても、自然と女の子はシルバニアファミリーに興味を持つようになり、男の子はプラレールに興味を持つようになるのだろうか?

僕にはそうは思えない。

1歳ごろの息子は、プラレールもシルバニアファミリーも同じくらい好きだったように見えた。まだ自分用のプラレールは持っておらず、男女共用の遊び場で区別なく両方で遊んでいた。

いま、2歳になった息子はプラレールが大好きで、シルバニアファミリーのことなんて眼中にないのだが、それは1歳ごろより2歳になった今、生物学的に男性的になったが故に、プラレールマニアになったわけではない。単に、「男の子は電車が好きやからね~」と次々にプラレールをプレゼントされたから、プラレールに興味を持ち、電車の種類をたくさん覚え、だから好きになっただけだ。

言い換えれば、社会から「男の子」というジェンダーを押しつけられたのだ。

ちなみに息子は1歳のころ、ピンクが好きだったが、ピンク色の洋服は与えてもらうことなく、いまは大してピンクが好きではなくなった。いま、キッチンで料理を手伝うことに夢中だが、おままごとセットを与えてもらう予定はないので、この趣味が消え去るのも時間の問題かもしれない。

当たり前だが、興味関心を持続させるには、名前を教えてもらい、たくさん触れ合わなければならない。ならば、幼少期の趣味なんて、ほぼ周りの大人が与えたと言っていいだろう。

もしかすると、プラレールは男の子のおもちゃだという社会的な風潮が生まれる前に、ほんの少しはセックスの差に由来する好みの差があったのかもしれない。しかし、それは社会によって増幅されなければ、これほど決定的な差にはならなかったはずだ。

そして、大人になるにつれて、セックスの差以上に、ジェンダーの差はさらに増幅されていく。

例えば僕は生物学的には男なのだが、割とジャニーズが好きだ。カートコバーンをカッコいいと思うのと同じように、亀梨和也をカッコいいと思う。しかしジャニーズのライブに行けば、周りは女性ばかりだ。別に男が観てもジャニーズのライブは面白いのだが、「男がジャニーズ好きなのはキモい」「アイドルのファンはアイドルに恋をしている」という思い込みが増幅されることで、男がジャニーズのファンになることは少ない。

もちろん、男女差が存在するのは趣味のレベルだけではない。キャリアの差という、人生を大きく左右する決定的な男女差も存在する。一般的に男性は出世しやすく、女性は「女性活躍!」と叫ぶ必要があるほど活躍していないとみなされる。

これ自体は奇妙な風潮のように見える。なぜなら女性はそこら中で活躍しているからだ。スーパーのレジで、クリーニング店の受付で、ヤクルトの配達で、歯医者の助手として。

これらが「活躍」とみなされないのは、単に給料が安く、非正規雇用だからだ。典型的な「活躍」としてみなされる管理職や社長や政治家のポストは男性が支配している。

僕はこれ自体はセックスに由来する現象だと考えている。女性は子どもを産む。子どもを産めは少なくとも数ヶ月、キャリアに穴をあけることになる。

では、管理職のキャリアに穴を開けると、どうなるだろうか? 十中八九、何も起こらない。なぜなら管理職とは本質的に部下を搾取するだけの不要な存在だからだ(Uberの経営陣が空席だった数が結構、Uber社がなんの問題もなく運営されたことは有名な話だ)。

だからといって、管理職はそのことを認めるわけにはいかない。管理職は必要であるという嘘を貫き通さなければ、管理職でい続けることは難しい。しかし、出産で数ヶ月休むとどうなるか? 彼女が不要であることがバレてしまうのだ。

このことから考えるに、自分が不要であることを隠し通せる男性という立場が、男性優位の社会を生み出したのだろう。そして、必要な仕事(=安月給の仕事)は女性の役割ということにされた。長い歴史の中でその風潮が社会的に増幅され、現在に至る‥というわけだ。

男性優位とは、無意味な仕事こそが価値のある仕事であるとみなされる社会でしか起きない現象なのかもしれない。ブルシットジョブをありがたがる社会が悪いね。

書きながら思ったが、ジェンダーギャップをブルシットジョブで説明するというのは、我ながらなかなか鋭い考察だね。これはこれで1本の記事にしてみようと思う。

まぁとにかく、男女差なんてそんなものだね。ジャニーズ最高。

1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!