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マイルドヤンキーを育てよう

マイルドヤンキーとは、国道沿いのドンキホーテに生息し、キティちゃんのスウェットを身につけ、ヴィドンの財布を持ち、ONE PIECEとEXILEと倖田來未が大好きというステレオタイプであり、主にばかにする文脈で使用される言葉だ。

僕もかつては馬鹿にしていた。しかし、子どもをもつと考え方は変わるものである。もしかしてマイルドヤンキーとして生きるのは、現代においてかなり合理的なのではないかと感じるようになったのだ。

地元の会社で現場仕事をし、地元の祭りに参加し、地元の学校に子どもを通わせ、地元のママ友と助け合い、地元の親戚や親と助け合う。もしそれを完全な形で実現するなら、保育所も児童相談所もいらない。誰かが面倒を見てくれる。マイルドヤンキーが子沢山でも成立するのは、ベビーシッターを雇う必要がないからだ。

アーバンな暮らしに憧れて東京に出て、バカ高い家賃や教育費に苦しめられながら、孤独に子育てし、死に物狂いで子どもをインターナショナルスクールに通わせる親と、どちらが合理的だろうか?

もちろん、一挙手一投足まで相互監視されるド田舎の暮らしとなると、また話は変わってくる。付き合いが負担になり、精神をやられることも多いだろう。また、消防団に入ったり、農業用の水路を掃除したり、色々と義務も増えてくるはずだ。だが、マイルドヤンキーが暮らす郊外は、そこまで監視の目が行き届いていることは稀であるし、義務もそこまで多くない。ほどほどに知り合いは多いが、デメリットは少ないはずだ。

完全に個人が分断された都市と、ど田舎の、ちょうどいい中間地点がマイルドヤンキーが暮らす郊外なのではないだろうか?

彼らの生活コストは安い。地元の公立校に子供を通わせ、ベビーシッターを雇うこともなく、ウーバーイーツを頼むこともない。それに、不夜城で永遠にブルシット・ジョブに勤しむようなこともなく、日が暮れれば仕事が終わるような仕事についているケースが多い。給料は決して高くないかもしれないが、マイルドヤンキー的ライフスタイルであれば、子どもを複数人育てても、そこまで負担感はない。どのみちその子どもも15歳か18歳でさっさと働き始めるのである。

確かにマイルドヤンキーの子どもに生まれれば、国立大を卒業してコンサルティングファームに就職しバイオベンチャーを起業してIPOするようなことはないだろう。だが、そもそも教育コストをかけたところで、リターンを得られる確率はどんどん低くなっている。

また、キャリアの可能性が狭まることをデメリットだと捉える人もいるかもしれないが、逆に高度な教育を受けることでもキャリアの可能性は狭められるのである。例えば、東大卒のエリートが、地元で左官工として就職したり、溶接の仕事に就いたりするような選択肢を思いつくとは考えられない。「そもそも、それをやりたいと思わないし、やろうと思えばやれる」という話であれば、マイルドヤンキーも同様である。マイルドヤンキーはそもそもバイオベンチャーを起業したいだなんて思わないだろうし、万が一思ったなら、やり方はいくらでもあるのだ。

つまり、マイルドヤンキーのデメリットなど、ほとんど存在しない。

僕は中学生の頃に両親が離婚して生まれた土地を離れていたし、通っていたのは私立だった。そのため「地元」という感覚が一切ない。親もコロコロ引っ越すから、親の近くには住んでいない。そして、近所には友達はほとんどいない。僕だけではなく、妻も似たような境遇である。つまり僕たち夫婦はマイルドヤンキー的ライフスタイルの体現者ではない。

そうなると、子育てにおいて、マイルドヤンキーであったなら負わなくて済んだ負担も、僕たちは負うことになる。とはいえ、親はそこまで遠くに住んでいないので、ちょくちょくサポートはしてくれるのだけれど、それでも「マイルドヤンキーだったなら…」という思いはなくならない。

残念ながら、今からマイルドヤンキーに転向することは難しい。ならば僕が取るべき選択肢は1つだ。子どもたちをマイルドヤンキーとして育て上げるのである。地元の公立校に通わせ、地元の祭りに参加させ、大学に通わせることなく、地元の工務店のようなところに就職させるのである。そして、息子は地元のギャルと結婚させ、娘は地元のヤンキーと結婚させる。

きっとそれが幸せのテンプレートなのである。親として、義務を果たそうと思う。

※もちろん冗談である。子どもたちには好きに生きてもらいたい。でも大学の学費は払いたくないというのは本当である。奨学金よろしく!

1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!