命令されるのは嫌じゃないけど、義務を押し付けられるのは嫌

「醤油とって~」と言われるのと、「先輩が刺身食おうとしてるんやから、言われる前に醤油とって渡すべきやろ!」と言われるのを比べて欲しい。

どう考えても、後者の方がムカつく。

いきなり殴られるとか、泥水をかけられるとか、そういう物理的な危害を除けば、「義務を押し付けられること」はトップクラスに苛立たしい(「死ね」と言われるよりムカつく気がする)。なぜだろうね。

全ての「義務」が不愉快かと言うと、そんなことはない。例えば、僕は平日ヴィーガンなので、平日に動物性タンパク質を摂取してはいけないという義務を負っているのだが、これに関しては何のストレスもない。あるいは、僕は毎朝、息子の朝食作りを担当する暗黙の義務があるのだが、これも同様だ。

つまり、自分で設定した義務や、納得の上で誰かと取り結ぶ義務には、ストレスはない。ムカつくのは、「他人から一方的に押し付けられる義務」だ。

仮に、人口の9割が「醤油を注ぐべきだ」と認めたとしよう。仮にそうだとしても、わざわざそれを押し付けて徹底を促す必要性があるかどうかは、また別問題だ。

例えば、道路の制限速度を守ることを僕たちは義務付けられているが、実際は10キロくらいオーバーすることが多い。道路に立って1キロでもオーバーしている車を停めて、ネチネチ文句を言うおじさんがいたとすればどう思うだろうか。確かに、そのおじさんが言うことは正しいのだが、わざわざそんなことを言うこと自体がムカつくわけだ。

べき論は、慎むべき。

たしかに、タバコをポイ捨てするとか、そういうマナー違反が腹立たしいのはわかる。だが、要はタバコをポイ捨てする人は「それくらいええやろ」と思っているわけだ。

当たり前だが、「それくらいええやろ」の基準は人によって違う。自分の基準が絶対的に正しいわけではない。明文化されたルールであっても、そのルールをどの程度守るべきかどうかは価値観の問題だ。

もし「ポイ捨てしてはいけない」という義務を追わせたいのなら、それをそのまま押し付けると反発を食らう可能性が高い。もし人に義務を負わせたいのなら、まず、その人の価値観には一定の敬意を払うといいのだと思う。

そして、お願いという名の命令をしよう。「ごめん、ポイ捨てやめてくれない?」と。もちろん断られる可能性もあるが、まぁ話せばわかる。なぜ、ポイ捨てをして欲しくないのか、感情を交えてとことん話し合おう。

義務の言葉ではなく、感情の言葉だ。

そういえば、この本には同じようなことが書いてあった。

ぱっと見たところ、安手の自己啓発書か、スピリチュアルな人の精神安定剤といった印象だけれど、なかなか画期的な主張がされている本だった。

(なんかアフィリエイターみたいな書き方をしてしまった。僕はアフィリエイトしたことないけど、そういえば僕のnoteから本を買った人っているのだろうか?)

まぁとにかく、平和に生きていきたいなら義務を押し付けるのはやめようね。特にお前だよ、日本国憲法。

勤労の義務が法律に書いているのって、日本か北朝鮮くらいらしいね(ソースは知らん)。

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