RPAとは、お人形遊び

僕が勤めている会社も少し前から、RPAがどうとか言い始めた。同僚達はため息を漏らしている。

「業務効率化」が業務を効率化することはなく、むしろ手間を増やす結果にしか至らない‥ということは周知の事実なわけだが、「業務効率化によって、業務が効率化される」という迷信を信じる人もまだ一定数存在する。

大抵の場合、迷信を信じている人は権力を持っていて、僕たち下っ端は、「いつか業務が効率化される」という神話を信じるフリを強いられる。しかし、その約束は果たされることはない。

ドストエフスキーが言うように、重労働は人間を苦しめない。人間を苦しめるのは穴を掘って埋めるようなことだ。無意味なことを、無意味と分かりながら続けるのは、考えられうる限り最大の苦痛なのだ。

この苦痛をなくすには、どうすれば良いのだろうか?

まず、業務効率化を諦めるというところからスタートしなければならない。どうせそれは不可能なのだ。ならば、まずは諦めよう。

そして、どうするのか? 業務効率化という儀式そのものを楽しむのだ。つまりそのままでは無意味なものに、意味を与えればいい。

例えば、家計簿をつける作業を思い出そう。家計簿をつけたことによって節約できた人は歴史上1人もいないわけだが、家計簿をつけるという無益な営みを行う人があとを立たないのは、家計簿をつけることそのものが楽しいからだ。

なぜ、楽しいのか? 理由はない。人間は例外なく、没頭していれば楽しいし、没頭しなければ楽しくない。

没頭するにはどうするべきか? とにかく没頭するのだ。

子どもは意味のない遊びにいとも簡単に没頭する。道端の石ころに興味を示し、お人形遊びで丸一日を費やし、プラレールで無限の時間を過ごす。

没頭するには、没頭する。鶏が卵であり、卵が鶏なのだ。没頭すれば楽しくなる。楽しければもっと没頭する(このメカニズムを言語で表すことはできないことが、僕たちの言語の限界だ)。

まずは、ロボットのイラストでも描いてみれば良いね。そもそもRPAなんて、新しい現象でもなんでもないし、プログラミングしてあれこれAPI叩いて自動化することなんて、別に20年前でもできたわけなんだけど、これがあたかも新しい現象として登場したのは「ロボット」というキャッチーな概念を導入したからだ。

言ってみればお人形遊びだ。綿の塊を相手に遊ぶことは難しいけれど、綿を纏めてお人形にすれば、そこそこ楽しい。RPAも同じで、よくわからないコードの連なりは魅力に欠けるけど、ロボットが仕事してくれると聞けばなんだかワクワクする。

人間は根っからお人形遊びが好きなのだよ。とことんお人形遊びに没頭すればいいさ。

そして、お人形遊びに没頭するお偉いさんたちと、一緒におままごとをしよう。業務を効率化しようだなんて考えるのは不幸の元。ロボットたちに無駄な仕事を与えることを楽しもう。どうせ全てブルシットジョブだ。

これは、RPAに限らない。僕たちをつまらない労働から解放することを約束するサービスやアプリは毎日のように登場しているが、それらは僕たちを少しも楽にしないのだ。ならば、非効率を楽しもう。

業務効率化のためなら、どれだけ非効率なことをしても構わない。そんな気持ちで生きていこうね。

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