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note毎日更新するかもしれないし、しないかもしれない

これは、僕の全600近い記事の中で最もいいねを集めている記事だ。

大した文章量もなく、これといった深い洞察もなく、恐らく10分かそこらで書き上げた記事。それでもこれだけのいいねが付くのはきっと「毎日更新」という題材に多くの人が関心を寄せているからだろう。

試しにnoteで「毎日更新」と検索してみたら、40万8000件ヒットした。「少子化」で5万1000件。「ワールドカップ」で3万9000件。「おちんちん」で5万9000件であるのを考慮すれば、「毎日更新」がどれだけ注目されているかが一目瞭然である。

40万8000件のうち、僕の記事のいいね数順位がどれくらいかはわからないが、多分そこそこ上位じゃないかと思う。毎日更新という注目されやすいテーマでありつつ、僕がほぼ毎日更新を実現しているが故に、この記事には一定の説得力が生まれていると思う。

とは言え、僕は別に毎日更新を目指していたわけではない。単に書きたいタイミングで、書きたいことを書いていただけだ。

だから、去年までは1日に2回も3回も更新する日もあれば、1週間空白ということもあった。

だが、最近はいろんな要因が重なって、更新ペースを1日1回に統一している。

1つ目の要因のは、1日に2回以上更新すると、フォロワーが減るという事実に気づいたことだ。そりゃそうだ。タイムラインがホモ・ネーモで独占されているのをみれば、僕のことがうざったく感じられるのだろう。だから、更新ムラは極力避けようと思った。

2つ目の要因は「毎日更新している人」としてフォロワーさんに紹介してもらう機会が多かったからだ。もし、その紹介を見て僕を知ってくれる人が、僕が毎日更新していない姿を目撃すれば、「看板に偽りあり」と感じさせてしまうかもしれない。それは僕のせいではないのだけれど、人はやはり期待されれば、期待に応えたくなる生き物なのだ。

3つ目の要因は、最近はお題を設定して書くことが増えて、単純に更新のネタが増えたことだ。「一生読まない本への愛を語るシリーズ」や「漫画考察」「歌詞考察」などなど、誰かのお題をパクったものもあれば、自分で設定したものもあるが、とにかく記事にできるお題が僕の手札にたくさんある。だから、「そういえば明日の分、何も書いていないなぁ‥」と思ったら、手札の中から適当なカードを切るだけで1つの記事を仕上げることができる。今までなら「まぁネタないし、いっか」となっていたところを、である。

そんなこんなで気づけば年が明けてから毎日更新を継続している。いっそ、このペースで今年は行ってみようかと思う。毎日更新したところで何かが変わるわけではないのだけれども、「何かをやり抜けば何かが変わる」という幻想は、1万時間の法則みたいな意識高い界隈のナラティブによって抗いがたい魅力を放っている。それが毎回裏切られているという事実を鑑みた上であっても、地平線の先にあるユートピアのように僕たちの目に映る。

とは言え僕は、「言行不一致のすすめ」という寺山修司の言葉を信じきっている人間だ。

わたしは言行不一致はそれなりで、なかなかいいものではないか、と考えています。すくなくとも、言行不一致を平気で容認していけるような太い神経だけが、長い歴史をすこしずつ変革してきたと考えられるからです。
寺山修司『家出のすすめ』

故に、白々しい顔して毎日更新を放棄するかもしれない。だが、僕の宣言に嘘はない。実際に毎日更新をしなかったとしても、今の僕が、毎日更新したいと思ったという事実は、決して消えないのだ。

けどな、クララ、あれは嘘じゃなかった。ある意味、いまでも嘘じゃない。
カズオ・イシグロ『クララとお日さま』

あるいは、「毎日更新してみてわかったこと」みたいなタイトルの記事で、「手段が目的化していることに気づいたから、あえて毎日更新をやめるよ」みたいな、毎日更新に挑んだ人が毎日更新を辞められる理論を探して一番最初に着地する結論を書くかもしれない。

未来のことはわからない。僕の気分次第だ。さっきは鼻息荒く宣言したけれど、まぁ大して意味はない。忘れてくれたまえ。

1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!