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なぜ、お金の価値保存機能が必要なのか?

価値保存機能は、お金の主要な機能の1つらしい。なるほど、便利だ。

では、お金が保存している価値とは何か? お金があればハンバーガーを手に入れることはできるし、指圧マッサージを受けることもできる。ハンバーガー、あるいは指圧マッサージという価値はどこから生まれたものなのか? その源泉は人の労働だ。

マッサージは明らかに人の労働によって提供される価値だし、ハンバーガーも、農家やトラック運転手、ハンバーガーを焼くアルバイトの労働によって提供される価値だ(この意味で僕は労働価値説は正しいと思っている)。

ならば、お金によって保存されている価値とは、他人を労働させる力‥要するに権力と言い換えられる。お金とは権力を保存したものであり、お金が保存する価値とは権力のことだったのだ。

ここでタイトルの問いに戻る。なぜ、価値を保存する必要があるのか?

狩猟採集民の中には、お金はおろか食料すら保存しない人たちもいて、その理由を尋ねると彼らは「食料は兄弟の腹の中に保存してるさ」と語るらしい。

要するに「何かあっても、みんなで助け合えばなんとかなるっしょ」と言っているわけだ。彼らは価値を保存する必要を感じていない。なぜなら、いざというときには、みんなが助けてくれると信じているからだ。

僕たちは違う。必要なときに、みんなが無条件で助けてくれるとは信じていない。だからお金(=権力)という形で価値を保存したがる。

これ自体も、滑稽な話だ。お金(=権力)は普遍的な価値を持たない。ハイパーインフレでお金がゴミになる可能性を僕たちは知っているし、サンジとゼフが痛感したように海のど真ん中では金はなんの役にも立たない。それなのに、金があればなんとかなると信じきっているのは、それ以外に信じるものがないからだろうか(あるいはMMTが言うように、税がお金をお金たらしめているのだろうか。そうなればお金の究極の価値の源泉は、国家の暴力に基礎付けられていることになる。切ないね)。

もし、狩猟採集民のように、なにかあれば兄弟が助けてくれると信じきれるなら? あるいは究極の福祉国家が成立して国家に絶大な信頼を寄せられるようになれば?

僕たちは価値を保存する必要はなくなるのかもしれない。つまりお金が必要なくなるかもしれない。

「それじゃ工場が建てられない」という指摘も一理ある。巨大な金=資本を投下して膨大な労働力を動員することでしか、成し遂げられない規模の経済というものは存在する。

だが、もし誰しもが「自分は何があっても食いっぱぐれない」と感じていたなら、金がなくても沢山の人を動員できるかもしれない。強烈なビジョンさえあれば、「お、おもろそうやしやってみよか」「工事か、あった方がいいやろうし俺も手伝うよ」と、物見遊山で手伝ってくれる人が出てくるだろう(クラウドファンディングの理想はこれに近いが、現状はただの予約販売と成り下がっている)。

ならば資本主義ご自慢の規模の経済も、信頼で代替可能だ。

このように考えれば、必ずしも価値を保存する機能‥つまり金は必要なくなる。兄弟、地域、国家への絶大な信頼で、お金は代替可能だ。

ビットコインは、お金の価値の源泉を国家の暴力からブロックチェーンに移し替えようとしたが、あまりうまくいったようには見えない。それに、ビットコインが成功しても、価値を保存しなければならないという状況は変わらない。

だから僕はそもそもお金という存在を無くしてしまう前澤友作アプローチを支持している。人類にとってはやや荒療治だが、現在お金が巻き起こしているトラブルや無駄を是正するには、必要なプロセスだと思う。

あるいはそれが非現実的なら、まずはユニバーサルベーシックインカムから始めてもいい。誰しもが生活を保障されるなら、お互いを信頼し合う社会に近づいていける。

「価値を保存すること」に普遍的な価値はない。僕たちの社会にとって、もっと大事なものは何なのか、考えてみてもいいかもね。

1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!