読書とは、モンスターハンター

ジジェクを読むなら、ラカンを抑えておくか‥おっとならばフロイトも読むべきだし、ヘーゲルも抑えておいた方がいいし、カントも念のため。カントいくならライプニッツとヒュームも抑えたいし、だったらアリストテレスとプラトンも読んでおこうか。ヘーゲルいったならマルクスとキルケゴールも行っときたくなるし、ならばニーチェとサルトルと‥

あれを読むためにあれを読み、そのためにあれを読み、気づけばループしている。この感覚、身に覚えがあると思ったら、モンスターハンターをプレイしているときだ。

ラージャンを狩るために氷属性の大剣を作りたいから、そのためにクシャルダオラを倒すか…。そのためには毒属性の武器を作りたいから、オオナズチを狩ってそのために、毒体制防具と火属性の双剣を…。じゃあテオテスカトルを狩るための水属性大剣と爆破耐性の装備を…。

先を思いやるとうんざりする。こういう時はあんまり計画を立てずに足元だけ見て進むほうがいい。悟りを開こうとする人は悟れない。足元を見て歩いていたら気付いた時には山頂にたどり着く。禅思想に対して僕は元彼みたいな感情を抱いているけれど、やっぱりいいところはあるよね。

つまり、目の前のことに集中。これが一番。やっているうちに寄り道も回り道もして、結果的に全く違う山に登っているかもしれないけれど、それも一興だ。

あれこれ僕に計画を立てさせようとする人は嫌いだ。PDCAという言葉を使う人はもっと嫌いだ。僕はその場しのぎでブリコラージュするのだよ。場当たり的に対応していたら細菌がミトコンドリアを飲み込んで真核生物になったわけで、自然はCADソフトを使わないし、施工管理もしない。そういう生き方をしたいものだ。

この前、柄にもなく2030年までに1人SDGsという計画を立ててしまった。これはやりたいことではあるけれど、あまりにも遠くの山を見つめすぎたようだ。ちょっと計画を破棄しようか。

僕は僕はジャガイモを育てたいから育てる。それ以上でも以下でもない。いつか自給自足が実現するかもしれないけど、しないかもしれない。でも今を生きているから、そんなことは気にしない。

読書だって同じだ。1ページ1ページを存分に楽しめ。それが読書家の使命だ。

1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!