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ヒートテックとは拷問器具である

僕はユニクロのエアリズムの愛用している。通気性が高く、汗をかいても素早く乾燥させる高機能の肌着として、夏場に売り出される商品だが、僕は夏場だけではなく冬場であってもそれを着用する。

とは言うものの、買ったばかりのエアリズムは好きではない。ある程度、洗濯を繰り返して生地が痛んだ頃の方が、より通気性が高く感じる。僕はその状態を「エアリズムが育っている」と表現する。エアリズムを育てていく過程もまた、ジーパン愛好家のように、エアリズム愛好家のフェチズムをくすぐってくれるのだ。

だが、育ちきっていないエアリズムの状態は、通気性が十分ではないこと以外にもデメリットが存在する。妻のヒートテックと見分けがつかないことだ。稀にヒートテックという名の拷問器具を着ていることに気が付かず、僕は外出してしまう。

ヒートテックはまるで銀行だ。晴れの日に傘を与え、雨の日にそれを取り上げるように、暑さに苦しめられているときにはさらなる暑さを与え、寒さに苦しんでいるときには「我関せず」といった様子だ。

暑がりの僕といえども、冬場に外を出歩くときはコートを着用する。だが、電車や店舗などの当然室内に入れば暖房がかかっている。コートを脱ぐことも可能ではあるものの、嵩張るコートをわざわざ折りたたみ手に持つことはストレスだ。多少暑く感じるものの、極力、コートを脱ぐことなく過ごしたい。そんな際どいバランスで成り立つ体感温度に対して、ヒートテックの魔の手が忍び寄る。

エアリズムを着ていれば、コートを脱がなくとも暑さには耐えられる。だが、ヒートテックを着ている場合、コートを脱いでもなお、冬場の街を歩いた僕の体温に反応して、さらなる灼熱を僕に押し付けてくる。

暑い。暑すぎる。

そもそも僕は公共の場における暖房には反対派だ。なぜなら、人々は外を歩いても問題ないレベルまで着込んでいる。暖房がなくとも室内は多少なりとも温度が上がっているのだから、コートを脱ぐ手間を省く意味でもわざわざ暖房をつける必要はないと考えているからだ。

だがまぁ、薄着の店員さんに配慮する意味で、軽く暖房がかかっていることは理解できなくもない。だからこそ、そこにさらなる追い打ちをかけてくるヒートテックが許せないのだ。

もちろん、「嫌なら着るな」で済む話ではある。ヒートテックを着ていることは僕の過失なのだから、僕がファーストリテイリングに対してとやかく言う権利はない。

僕はただ、ヒートテックに対する怒りをぶちまけたかっただけだ。なぜ、あんなものが存在するのか。僕は理解に苦しむ。あんなものが存在しなければ、僕がヒートテックを着ることなく済むのだ。

恐らくヒートテックとはマーケティングの怪物なのだ。ヒートテックを着たときに待ち受けているものは地獄であるにもかかわらず、あたかもヒートテックが寒いときに暖かさを提供するかのようなマーケティングを展開することによって、プラシーボ的なニーズを生み出しているに過ぎない。無臭の湿布よりも、臭い湿布の方がクレームが少ないように、プラシーボ的なニーズを満たせば、人間は満足する。

それは、ロイヤルタッチのような、ぼったくり占い師のような、「本人が満足しているから」以外に正当化しようのない空虚な詐欺以外の何者でもない。

ヒートテックとは、拷問器具である。そのことは一分も疑いようがない事実だ。だがそのことは巧妙に隠されている。

真実を見つめよう。僕が言いたいことはそれだけだ。別にヒートテックをとやかく言うつもりはない。ただ、真実を知ってほしいだけなのだ。

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