アレ? ときどきエラーな小心者


  あ、予定立て直さなきゃ……

 ブレーキサインが出ていたものの、連続して予定を入れていたりして気づいた頃には、絶賛体調不良になってしまっていたりして、結果的にこもる期間が長くなってしまうパターン。

 あれもこれもやりたい! 予定空いてる! 入れちゃおう!

 しかしまあ、心の中においてけぼりになっていた心配事はずっと消えないぞ! そうこうしているうちに、違う問題が起きたぞ! それを文章にも消化できないし、物語にだって昇華できないぞ!

 ありゃりゃ、チーーン……


 気づいたら寝込んでいました。
 これね、言葉通り、とにかく寝ている時間が長くなります。まあ、体力も次第に落ちていきます。

 40代に入り、そろそろ自分のことを上手くあしらえるようになったのでは?と思いきや、「なーんだ、また振り出しに戻ったのね」っていう時期が来ちゃうことがあります。
 一般的に言うと、5月病に似ているのだけれど、鬱っぽくなります。
 その期間には、考え込むことがより深くなって、過去の失敗についてもアレやこれやと思い返したり、その時の自分の状態を文字で表すと、まさしく「ああああああああああああああああああ……」ってエラーか、エクセルの#REF?みたいな感じなんです。

 おかしいですよね。スイッチが切れて、自分でも自分の中に無が広がっていくのが分かっているのに、振り返ると「あ、あの時の無理の分だ」とか「激しく怒ったあとの無祭りキタ!」って自覚はあるのですよ(笑)
 
 年間目標(ここまでやりたいぞ的なもの)を見返して焦ってしまったり、その分を取り戻そうとしてアクセル踏みすぎたりするのは、さらに疲れて失敗したりするので、自分に「はい!またボチボチ期が来たぞ!」って言い聞かせているのが、まさに今です。

 さて、五月は生老病死哲学にどっぷりと浸ってしまいました。婦人科を受診したり、子宮内部の不調の検査結果が出るまでの不安も重なっていました。

 大きなことといえば、昔お世話になった店長がお亡くなりになりました。

 私が一緒にお仕事をさせていただいていた時も、不調になって入院されたりしていました。仕事を辞めた後もそんな事を聞いたり、お店をたたまれた後も、近くを通るたび思い出したり、とても身近に感じていた方でした。
 先述のように、私は同じような状態で寝込んでいて、恩師の訃報を聞いても葬儀に参列に向かう力すら出なかったことがあって、後になってひどく後悔したことがありました。どうにかスイッチを入れて喪服を取り出し、それなりにメイクをして出かけました。

 葬儀の知らせをくれたチームメイトも、もう10年以上も連絡をとっていなかったけど、知らせてくれて有り難かった。
 あの頃を懐かしく思い出した(思い出してしまった)のです。売り上げが上がったり、スタッフノートで誰かが褒められるたびに、私は「私も!」と思い出したのでした。誰よりも認められたかった。

 あの頃、全く自覚していなかったけど、どうにかして売り上げを上げたい! 前年度比を超えたい!と躍起になっていて、寝ても覚めても店のことを考えていました。その頑固ともとれる行き過ぎた一生懸命さは、単純に「店長に認められたい」から来ていたのかもしれないなと思います。それが厄介なことに肥大してしまったのでしょう。
 
 最初は小さなこと「この時間帯のお客さんの役に立つためには何ができるかな」でした。それがどんどん加速して、さらに承認欲求も混ざり合って、やりがいみたいなものに繋がっていました。
 実際にお客さんがおすすめ商品を手に取ってくださったり、時には喜ぶ顔を見れたり、実際、数字にもグラフにも現れていきました。売り場管理について意識の高いスタッフが多かったし、一緒に働いているご家族にも親しみを感じていたし、貢献したくなるファミリー的なチーム感が好きでした。
「これ美味しそうだから魅力的に見せて売りたいな」とか、そういう仕掛けづくりも楽しかった。年に10円ほどの時給の昇給だとしても、そこは無視して、大好きだったし、次第に仕事に熱中していました。

 あ、そうそう!
 実は、私は「愛」を頂けなかったポンコツものなのです。文字通りの意味です。スタッフがお店を卒業する時には、店長は必ず「愛」という一字をしたためて渡していました。
 喜ばしい通常の辞め方ができなかった私は、それを頂けなかった!
 なんてこと!!! 一番、褒められたかったはずなのにね。本来ならば顔むけできない! ああああああああ!(その後、ちゃんと和解しています。今頃、空で笑っているかも)

 そんな事を思い出していたら、花に囲まれた遺影の前でボロボロ泣いてしまい、あの頃の誰かに見つかる前に……と顔を伏せがちにそそくさと帰ってきたのでした。

 若い頃、もっと客観的で柔らかな自分でいていたらなあ……と、振り返りましたが、そうなると、私はそこに行かなかっただろうし、そういう大きなターニングポイントにも出逢わなかったことになるので、それもまた人生、っていうことなのでしょう。 クリーニング店で喪服を受け取り、クローゼットにしまう六月に入った今、ようやく落ち着きました。

 ああ、生老病死について、
 お釈迦さまはなんて説いていたっけ……

 そこまで大きく考えたら、自分の生の一部である未来の死すら受け入れられそうなのに、実際は、ついこの間まで病院にかかって、その怖さや不安に直面していたのでした。
 なんて臆病で小心者な私! 寂しがりやで甘えたい人間だなんて、とっても恥ずかしい! そして厄介なことに、「発される言葉」について、センシティブで、ネガティブに捉える傾向がある! それでも「それはどういう意味で…」と追求するものお門違いな気がしてならないから、ボールを持ったまま、自分の中で解決するまでに時間が掛かったりする面倒くさい奴。

 人間関係についても、にわかに角が立ちそうでも「ああ、そうなんですね〜」ぐらいの心持ちでいられるようになったらいいよなぁと思います。イラッとしたら、大概、自分が疲れているサインだから。

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