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朧月恋花 第3章 薔薇⑦


↑前回の『朧月恋花』第3章薔薇⑥


朧月恋花 第3章 薔薇⑦(初稿)


 忘年会のお知らせの社内回覧が希のデスクに回ってきたのは、その日の前日だった。参加、不参加に振り分けられた枠付きのそれは、参加を前提とした文章だった。
 確認印の履歴を見れば、回覧船が出港したのは2週間前。順調に航海を続け、3日で部長のデスクにたどり着いたが、大いなるいつもの事情で停泊していたようだ。
 部長の左側にデスクがあるのが、希の運の尽きだった。あるいは隣の幹事、川端さんが左利きだったならば、希はそれをもっと早くに確認できただろう。部長をスキップして向かい側の岡山さんのデスクに回し、最速で一周させ、隣の幹事、川端さんの元に戻せていたに違いない。
   遅かった。再雇用の川端さんにそこまでの勘の良さを求めるのも違うし、希の明日の夜には予定もない。部長のお気に入りのお店、金曜の夜。部長からの指示でワードを覚えたての川端さんが一生懸命作成したであろうこのお知らせの、NOの枠に名前を入れるのはかなりの勇気がいる。YESを前提として出港してしまった船には、乗っておくのが社会人なのかもしれない。希はどんな返事が来るか覚悟しながら、NOの欄に名前を書いた。ひとりだけだった。
「川端さん、よろしくお願いします」
「あらぁ。希さんは来られないのですか?それは残念だなぁ。どうしよう……何人か取引先さんを呼んでいるのですが、吉川さん、来るんだったかな」
川端さんがペラリと捲った紙の裏面には、取引先参加者名が書かれてあった。


 ちょっと待ちたまえ!

  希は脳内で激しいツッコミを入れた。それなら話は大いに違ってくる。忘年会のお知らせをタイトルフラッグでデコレーションする暇があるなら、それはシンプルに下線だけにして、両面印刷されてあった、取引先参加者名簿は表にまとめて欲しかった。
「希さん、どうしてもご予定が?」
「まぁ……その……」
「吉川さんも喜ぶと思うんだけど」
   思いもよらなかった。「喜ぶと思う」と川端さんは言い切った。普段の電話の声の調子だけで、隣にそこまで伝わっていたならすでに手遅れだが、この手の返事は早いに限る。
「うーん、吉川さんほどのイケメンが来るなら、私も参加したいかも……。昼休みに一度、予定を調整してみます。少し待っていただけますか?」
「わかりました。また、お昼明けに……」
 こういう時、自然な微笑みを返せる川端さんが怖い。どこかで何かを感じていてもはっきりは顔に出さないのに、パワハラでもモラハラでもなく、ギリギリのラインで答えをYESに変えていく。
それに対し、希は9割を正直に、「イケメンが来るなら」と返し、昼休みまでという期限を設けることで、1割を保険の為の嘘とした。
 昼休みには明日着くよう、ニットワンピをネット注文しておくのだから。

(続く)

【あとがき】

 大人って、結構、嘘つきなんですよね。でも、ことわり文句の日本語って難しいんですよね。そういう意味では、みんな役者なのだと思います。

 あるマドマゼルが「わぁ、ありがとう♪でも、ごめんね。それは飲めないの。お茶だといいんだけど」って、もてなし珈琲を断っておられました。けど、みんな笑顔なんです。こういうニュアンスの断り方って素敵だよなぁって、お人柄も、齢もあるのでしょうが、NOだけど、好きになっちゃう。

 そこ、やっぱりハッキリ言っても良くない? って思う日もあれば、あいまいな日本語を読み合うやりとりに面白さもあります。感情を抜きにしたパズルのようであり、そこに1滴の真意を潜ませるようであり。

 あー、愛でたい日本語。


 来月もお楽しみに。


 あいとかんしゃをこめて。

2021年11月18日 香月にいな


 

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