3.母語発見の日々
ぶっつけ本番
何度も書くが、自分は日本語講師としては全くの素人だ。専門教育を受け、特別な資格を持っていたわけではなく、ただベルギーで教員になるための要件を備えていたことによって、ポストの方から勝手に転がり込んできただけである。まあ、現在のような制度ができる前であったのもあるが、しかしだからと言って、ネイティブ・スピーカーがなんの基礎知識もなく母語が教えられるなどといったような幻想を抱くほど馬鹿でもなかった。
採用から初授業まではそれこそ数週間しかなかった。何しろ自分は素人で、外国人に日本語を教えたことのない身だった。日本にいた時に教育機関でものを教えた経験はあったが、相手はほぼ日本人ばかりだった。日本人ではない人たちを前に日本語を教えるといった場面は全く想像できない。仕事が始まる前に、クラスの様子がどんな風で、具体的にどのようなことに気をつけねばならないかについて、できれば前任者から一度話を聞いておいた方がいいと思ったのも自然だ。幸いにも前任者は自分と同じ町の、それも割と近くに住んでいたので、すぐにメールを送れば会って話を聞かせてもらえるのではないかと思ったのだが・・・。
前任者は中国留学を目前に控え、時間がないとのことであっさり拒否された。まあ、私に会いたくない理由が他にあることを後から同僚たちから聞かされたのだが、それについては触れないでおこう。ただ、結構卑劣なことやドロドロしたことがあるというのは洋の東西を問わないとだけお伝えしておきたい。
兎にも角にも、何の経験も事前情報もないままぶっつけ本番で日本語を教え始めなければならないということだけが確定したわけだ。
私に与えられた時間割というのは次のようなものだった。
月 火 水 木 金 土 日
朝 朝 朝
夜 夜 夜 夜
実に七コマも持たされ、それはフルタイムに相当する担当時間だった。「初年度でフルタイム(はぁと)」などという声が聞こえそうだが、海外で未経験の仕事を誰のサポートも受けずにフルタイムでこなせと言われているのだ。社会人経験者ならその残念な未来は想像できるのではないか。
一回の授業は3時間15分なので、一週間に22時間45分の労働時間に相当する。担当する授業時間としてこれが多いかどうかはわからなかった。今ならやらないがw。問題は、成人学校という都合上、授業は朝と夜が中心で、朝は8時45分が始業で12時まで、夜は午後6時45分始業で10時まで。交通の便がすこぶる悪いところに学校がある上に、ブリュッセルで乗り換えをしなくてはならず、電車は普通にトラブルが多い。さらに、電車の本数そのものが減る土曜日まで入っている。
この時、私はそれがどのような変化を自分にもたらすかは想像できなかったが、当時のどの同僚もこのスケジュールに目を見開いて同情を寄せてくれた。まあ、寄せただけだったのだが、それほどまでに少し非情なものであったようだ。そして実際、私はその一年間、口内炎に煩わされた。以前、東京で月の残業が200時間越えもあるブラックな労働をしていた時も同じような症状に悩まされたので、それはストレスからくるものではなかったかと思う。
日本語のお勉強
素人なので、当然日本語の教科書を手に取ったことはおろか、どんな教科書があるのかも知らなかった。学校に残されていたのはジャパンタイムズのGENKIという教科書だったので、もうだたそれを使うしか選択肢はなかった。去年、第3版を手にしたところだが、それがまだ初版だった頃の話だ。
教科書はまあそれでいいとして、授業で日本語を教える以外に何を伝えればいいか。せっかく自分の国の言葉について学んでもらうのだからと、余計な(?)サービス精神も湧いてくる。「目の前の授業をどうするか」について、前任者が話してくれなかった内容を想像で補い、自分なりのメニューを作ってみた。「あれを紹介したい。これについて話せば楽しいんじゃないか」的なものがいっぱい詰まった玩具箱的なものが出来上がった。「せっかくネイティブ・スピーカーが担当するんだから非ネイティブに差をつけないと」という気負いもあったかもしれない。
しかし現実を知らないということは実に悲しいことで、実際に授業が始まってみてすぐに認識を改めることになってしまった。その時に到達した境地とは、
余計なことはほぼできない。とにかく教科書に沿うだけで精一杯!
だった。
なんとも他愛のないものだが、これはこちらが伝えたいと思っていることと、実際に目の前にいる生徒たちの思い・関心・力量との間に大きな溝があったということに尽きるだろう。日本語教師という仕事で最初に得た教訓だったかもしれない。自分が思い描いていたあれやこれやは結局のところ、経験値ゼロの人間による思い入れに過ぎなかったというわけだ。
また、教科書を読み進めていくうちにもう一つ別の重要なことにも気がついた。知らなかったということがお恥ずかしい限りなのだが、それは
自分たちが日本の学校で学んできた『国語』とは全く違った文法的ルールで日本語を教えねばならない。
というものだった。「な形容詞?何それ?五段活用とかどこいった?形容動詞は?」というレベルだったのだw。
人に教えるにはまず自分が知らねばならない!
これはまずいと思い、それ以後、兎にも角にも日本語を教えながら日本語を学ぶというおかしな状態が始まった。幸いにも赴任校の書庫には以下の二冊が眠っていたので、どうせ日本語教師は自分一人だったし、日本語オンリーの解説書なんて読める人もいなかったということもあって、それを勝手に拝借し、通勤の電車内での日本語学習に利用することにした。一体誰がこれを学校に買わせたのかは今もって謎ではあるが。
何かを勉強するのは楽しいことで、改めて自分の母語について気づいたことが多々あった。そしてそれは今もって続く日々の小さな発見の喜びにも通じている。何かを考え、気づくことは刺激的だ。もちろん発見したことを全て記憶できるわけではなく、忘れてしまったものも多々あるだろう。しかし、それでも解を探し求める作業は人を成長させてくれると信じる。
ただ、こうした学びを通して見出したものを実際に授業で披露できるかというと、とてもそんなことはない。先の認識の通り、教科書から外れるようなことを吸収できるような素地は夜間の成人学校に通う人たちにはない。何となれば、教科書にあることでも極力シンプルに削ぎ落として伝える方がいいことがある。彼らにとって、日本語はあくまで隙間時間にだけ触れる趣味の小物に過ぎない。この点では日本に本気で学びに来る人や大学で専攻する人たちとは分けて考える必要があると思う。実際、日本学科の大学生を相手にするときは同じ教科書を使っていても触れる範囲を変えている。成人学校では、できることなら教科書内の脚注でさえ避けて通りたいぐらいである。
こうして、前記事で書いた、初日を迎えることになったわけである。
なんだか今回は太字が多くなってしまった気がするが、それは多分、自分がこの時、この世界に浸るためのコツのようなものを発見している過程にあったからではないかと思う。前には経験によってそれらに肉付けを行う日々が待っていた。
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