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経験は全て財産になる

経験は全て財産になるのだなと、先日ふと思った。それは、当たり前のようだけど、忘れがちなこと。

プレッシャーや不安に押しつぶされて、とてもしんどい。
逃げたくなる自分を責めてしまい、余計に苦しくなってたりして。
例えば、そんな風に。
今、決して面白いとは言えないような現状にいたとしても。

今味わってる感覚、経験していることは、確実に、後々の財産になる。

渦中は、そんな風に捉えられる余裕は全くないかもしれないけど。


以前勤めていた会社で、人事をしていた時は。
決して人として秀でているわけではなかったけど、それでも、色々な相談や悩みの話を聞く機会が多かった。


自分に自信が持てないという社員の話を聞き。
そもそも自信ってなんだと思う?
入社当時から比べて、これはできるようになったと言えるものはどんなことがある?
人との比較じゃなく、過去の自分と比較してみたら、何か見えてこない?
って、その人の中から答えが出せるように話を聞いたり。


プレーヤーとしては一流でも、マネージャーとしての役割に自分で納得ができなくて。
でも、せっかく期待されて与えられたポジションだから全うしたい…
という責任感の塊のような人と向き合い、仕事で果たしたいこと、人として果たしたいこと、重なる部分がありそうか?
どうしたら折り合いがつけられそうか?
自分にOKが出せそうか?
と、話し合いを重ねたり。


解決案が欲しいのか。
ただ話を聞いて欲しいのか。
コーチのような関わりを求めているのか。

都度都度、こちらも頭の中をグルグル動かし、
脳味噌に汗をかきかき、必死で向き合っていたと思う。

時には刃が直接自分に向く、なんてことも起きた。

でも、そういうことって、人目につかない水面下で行われることが多いから、自分が関わることが表出されることはない。
だから、褒められることも、その部分で評価されるなんてこともなかった。
当然、そこに対する不満は一切なかったけれど。


でも、時を経た今。
そのように彼らと関わる中で、
共に悩み、考え、導き出した答え、
そして時に出せなかった答え。
それら全てのことは、確実に私の財産になっている。


抱えていた痛み。乗り越えた喜び。
怒りや苛立ち。それを解放できた時の安堵や自分や相手に対する信頼感。
共に立ち会って、共有しあえた時間、体験は、
確実に私の血肉になっている。
成功体験だけじゃなくて、失敗体験だって、だ。


大変なことから目を背けるな。
逃げちゃいけない。
そんなことは一切言うつもりはなくて。

人は弱いし、そして強い。

だから、立ち向かえそなことは、ぜひ経験した方が良いと思う。
後に、自分を輝かせる財産にきっとなるよ、って思うし、これからもそう信じていたい。

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