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<私のお守り>亡き父の人生最後の履歴書

父は数年前、癌で亡くなりました。

亡くなる数年前に、母の知り合いから紹介いただいた、とってもよく当たる、と言われる占い師さんに「父は、78歳から人生が薔薇色になる」と言われ、父にそれを伝えると、「(78歳なんて)微妙…」となんとも言えない顔で笑っていたのを覚えています。
そして、実際は78歳まで生きることなく、67歳でこの世を去りました。


口下手で不器用な父は、娘の私にどのように愛情表現をしたら良いのか、最後まで掴めてなかったような気がします。

でも、そんな父の私への愛情は、ちゃんと伝わってきていました。


幼少期、私が大病を患い、生死を彷徨う状態になったことがありました。
「あの時は、自分の命を引き換えにしてもいいから、なんとかして助けてください!って、神様にもお医者さんにも毎日頼んだんだ」
酔っぱらうたびに涙ぐみながら、母や祖父母、私本人に話すので、私は「ごめん」と言ったらいいのか、なんと言ったらいいのか分からず、ただただこそばゆい感じで、黙ってそんな父を見つめることしかできませんでした。


中学生の頃は、私が突然、お菓子につられて入部した茶道部をやめて、髪の毛をバッサリ切り、「ソフトボール部に入ることに決めた」
そう、伝えた時も、反対する母とは逆に、私を喜ばせようと、学校指定のものではなく、父(&祖父)セレクトのグローブやスニーカーを買い与え、ちゃっかり自分の分のグローブまで用意して、一緒にキャッチボールをしたものでした。
(そのグローブやスニーカーが、まぁ派手だったもので、その後先輩方から目をつけられる羽目になったのですが…)


短大時代の夏休み、カナダへ留学した時は、私となんとか話をしたいと勇んで国際電話をかけてみたものの、ホストマザーとのコミュニケーション(会話)が成立せず、ガチャ切りする、という失態を犯し、母に呆れられたそうです。


大人になり、勤めていた大手企業を退職し、デザイナーとして、社長が一人のみの個人デザイン事務所へ転職しようと思う、と話した時も。
やはり大反対し、なんとか阻止しようとする母とは反対に、夜中にこっそり私の部屋へ来て、
「お前の決断する道なら進みなさい。もし何かあっても、その時一緒に考えよう。応援する」
と、背中を押してくれました。


色々な話をしたり、たくさんの時間を一緒に共有した、という感覚はなくても、そんな風に、父なりの在り方で私を大切に思ってくれているのだ、と感じていました。

そんな父は、3.11の影響で、そのわずか数年後に、会社をリストラされることになりました。退職まであと数年、というところでの突然の出来事。

私の方は、念願のフリーランスの道を踏み出し始めたところだったのですが、急遽、家計を支えるためにも、安定的に収入がもらえる会社に入り直そうと、再び就活を始めました。


そして当時は、どこかで「父に足を引っ張られた」という思いがあったのだと思います。
すぐに勤務先が決まった私とは対照的に、なかなか就職先が決まらない父に対して、苛立つような思いを抱いていました。
まさか、あんな年齢になって就活をすることになるなんて思いもしなかったはずですが、励ましたり、父が希望するような就職先を一緒に探したり…という寄り添い方が、あの時の私にはできませんでした。


そして、ついに父の就職先が決まり家族が胸を撫で下ろしていたのですが。
父は、帰宅するたびに「疲れたなぁ。」と、よく口にするようになりました。

昭和サラリーマンを絵に描いたような父は、以前は、朝早くから夜遅くまで仕事に全精力を注いで働いてましたし、会社の愚痴などを家族の前で漏らすことも一切ありませんでした。

その父が、疲れた…しんどい…と言う事に戸惑いつつ、「慣れない環境だから仕方ないよ」と、自身も新しい環境で必死だったので、父を心から慮ってあげることができませんでした。

そして、すぐにそれが、環境のせいではなく、その頃、既に癌におかされてしまっていたためだ、ということが分かりました。


その後間も無くして、病気が発覚すると、仕事を辞め、入退院を繰り返し、数年後に亡くなりました。
闘病中も、辛いとか、苦しい、ということを一切言わなかった父。
本当に最後まで、口下手で不器用な父でした。


そして、父が亡くなり、しばらくして、私は自分のUSBメモリーに、「履歴書」というファイルがあることに気づきました。
「なんだっけ、これ?」と、ファイルを開くと、それは父の履歴書でした。

リストラされ、就活してた時に作成していた履歴書。
コンビニに印刷しに行くために、一度私のUSBメモリーを貸したことを思い出しました。

そして、中身を見てみてビックリしました。
左側の、学歴や職歴のところは、しっかりと明記されていたのですが、
右側が、ほとんど、まっさらさら…志望動機も弱すぎる…
自己PRの欄には「良好」と、デデーンと書かれていました。
元人事をしていて、1,000人以上の人の履歴書を見てきて、キャリアコンサルタントの資格もとった私から見たそれは、あまりにもイケてない履歴書でした。


これを携えて就活をしてたわけだ…
そりゃなかなか決まらなかったわけだ…
しかも、自信満々で書いてたであろう「良好」の文字も、その頃既に癌であったわけだし、説得力ないよな…


なんだかその履歴書が、父そのものを表しているようで、涙が止まらなくなりました。


そして、今でも、それは私の大切なお守りです。
しんどくなったり、立ち止まりそうになったり…何か後ろ向きな気持ちになる時は、そっとその履歴書を開いて、「よし、大丈夫。頑張ろう」と唱えています。


家族のために仕事に打ち込んでいた父。
辛さや、弱さを決して家族に見せなかった父。
不器用なりに私に愛情を注いでくれていた父。
78歳からの薔薇色の人生は訪れなかったけど、
父は父の人生を生き抜いたと思っています。


だから、私も自分の人生をちゃんと生きることから、これからも諦めないでいようと思います。
それが父への何よりの恩返しになるのだと信じて。

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