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赦せないのは相手じゃなく自分自身だった

過去に、とても傷つけられた人がいた。

元々は、分かち合えていたと思っていた人だったけど、
掛け違えてしまったボタンのように、
心のズレが、徐々にお互いを苦しくさせていたように思う。

フェードアウトも出来たはずだけど、
はっきりと、一旦距離をおこうか、と提案したのはわたしの方だった。
そして、いつからか感じていた違和感を正直に伝えた。

そして相手から返ってきたボールに、心をえぐられた。
そんな風に、わたしのことを見ていたのか、と。
それを、当時の自分は受け止めきれなかった。

だから、この関係性に一旦蓋をすることにしよう、と結論づけた自分の選択を肯定した。


だけど、蓋をしたはずの樽の中で、
そのジュクジュクとした思いは消化されることなく染み出しては、
時折、またわたしを苦しめた。

「なんで、あんなこと言われなきゃいけなきゃいけなかったんだろう?」
と、時として怒りとなり。

「結局信頼してもらえていなかったんだな。」
と、悲しい気持ちになり。

自分でも、この樽をいまだに抱えたままでいることが嫌になるほどだった。

普段はさっぱり忘れているのに、ある時ふと思い出す。

なんなんだ、これは、と。


そして、今日、親しくしている友人との何気ない会話のやり取りの中で、
そっと、その話を打ち明けた。

過去の出来事、今のわたしの状態。
友人は、良い・悪いという判断はせず、アドバイスもせず、
わたしの心に寄り添ってくれた。


その友人の温かい関わり方のおかげだろう。
話しを聞いてもらいながら、ついにモヤモヤの原点にたどり着いた。


わたしが赦せないでいたのは。
かつての相手ではなく、わたし自身だったんだな、と。


掛け違えたボタンを掛け直す方法を見出すよりも、
苦しさから解放されたい思いから、
手放すことで楽になろうとした自分のことも。

心のどこかで、その選択に腹落ち出来てなくて、
うじうじを抱えたままでも良いと、
認められない自分のことも。

赦せないでいたのだ。


相手のことなんて、とうの昔に、とっくに赦せていたんだ。


友人に吐き出せて。
こうしてnoteに書いて。
この弱い自分を、ようやく赦せる気がしてる。


今日、また別のある方から、「ワッキーさんは、完璧なんですよ(外からは完璧に見えるんですよ)」と言ってもらい、とても驚いた。
こんなに欠陥だらけの人間なのに?!って。
欠陥部分を、補い、補い、なんとかここまでやってきてるのにな、って笑


なので、今日は、お恥ずかしながら、自分のB面を露呈してみました。
完璧じゃないですよ、わたしは。
弱いし、ざっくりだし、せっかちだし…

うん、でも。一つ、自分を赦せてよかったな。

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