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友人関係だって、「衣替え」をしたっていい

わたしのカラダは一つだ。
…と、唐突な書き出しだけど。

何が言いたいかと言うと、
だからこそ、やれることには限りがあって、やりたいことが全部できるわけじゃない。
仕事だって、もちろんそうだ。
そして、人間関係にもそれは当てはまると思う。

全ての人に公平に、自分の持ち合わせているものを提供することはできないのだ。

気持ちはいつまでも若くいたい。
だけど、最近は、(人生の)残り時間を意識するようにもなった。

だからこそ、
誰のために
何のために

自分を活かすのかは、とても大切に考えたいし、妥協はしたくない、と強く思うようになってきた。

先日。
20代の頃から仲の良かった仲間と久しぶりに再会した。

第2の青春と呼べるような時期を、彼ら、彼女らと一緒によく過ごした。
家族以上に深い話をし、彼らの前では、自分を飾る必要なんてなかくて。

とにかく心地の良い居場所だった。

だけど、そこから数十年経ち。
数年前から薄々気づいていた。
彼らとの関係性が、以前と比べて心地良い場所と呼べるようなものではなくなっていることを。
でも、ふとよぎるその感覚に気づかないふりをしていた。

何度か集合がかかっても、理由をつけて、やんわりと距離を置いていたけど、先日は思い切って、心のモヤモヤを“確かめる”ためにも、彼らと再会をした。

そして、やっぱり。
心地の良いと思っていた場所は、そうじゃなくなったんだな、
と確信した。

この気持ちは、どう表現するのか、いまだにしっくりくる言葉が見つかってない。

寂しい、とも違うし。
がっかりした、わけでもない。

ただ、久々に再会できたというのに、その時一緒にいた時間がとても長く感じられた。
以前には考えられなかった感覚。


こういう話はよく聞く。
「ステージが変わったのだ」とか「その人たちから卒業する時が来たのだ」など。

でも、そんなオコガマシイことをいうつもりはない。

でも、もう。
しばらくは会わなくていい。

それが正直な思い。


彼らとの再会後、しばらくはそんな風に思ってしまう自分を軽く責めた。
考えても出せない答えに、ちょっぴり苦しんだ。

そして、その気持ちを友人に吐き出したところ。

友人との関係も衣替えだと思えたらいいんじゃないかな。
「今、このシーズンは、この服が着たい」って思うのと同じで、
シーズンじゃない服は、引き出しの奥にそっとしまっておく。
そしてまた、いつか。
「着たいな!」って思う時が来たら、取り出して、身につけてみる。
そんな風に考えてみてもいいと思う。

と言ってもらって。
その表現が、とにかくしっくりきたのだ。

そうか!と。
わたしは、なんとなく、彼らとの縁はこれまでなのかな…なんて考えていた自分に罪悪感を感じていて、そんな自分を責めてたし、苦しかったんだ。

でも、そうじゃない。
今は、そっと大切に、引き出しの奥にしまわせてもらう。

そして、何年先か。何十年先か。
また、先の未来で、またそっと奥から取り出して、身につけたくなる時がくるかもしれない。

それでいい。


今でも大好きな人たちだからこそ。
この感情をうまく表現できなくて、書いては消し、書いては消しを繰り返していたけど。
ようやくnoteに書けた。

幸せでいてほしいんだよな。ずーっと。会えなくなっても。この先も。


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